ニュース画像
落慶法要に続き、つき初めする小堀管長と見守る坂井田住職(右)
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

なぜ長続きせぬ日本の歴代首相

2010年12月21日付 中外日報(社説)

G8(主要国首脳会議)をはじめ、各国首脳による大きな国際会議では、トップの外交力が試される。何度も場数を踏んでいると、大統領も首相も互いにファーストネームで呼び、時には冗舌を交わし合う。そのくらいの親しさがないと、会議外交の成果は期待できないそうだ。

ところが日本の首相は、容易にその交流の輪に入って行けない。語学の壁もあるが、毎年のように首相が交代しているからだ。自民党政権の末期以来、ほとんどの首相が在任一年、またはそれ以下という事態が続いている。現在の民主党の菅直人首相も、組閣後まだ日が浅いのに退任のうわさが流れる有り様だ。

日本の代表が毎年のように「初めまして」とあいさつするようでは、気心を通じ合うことは望めず、軽口に託して本音を探り合う政治力も発揮できないことになる。

なぜ、日本の首相は猫の目のように交代するのか。自民党時代も、現在の民主党政権下でも、衆議院では与党が絶対多数だから、その気になれば一人の首相が長くその地位を占めることが可能なはずである。しかし野党から批判されたり、与党内部の派閥争いで揺さぶられたりすると、いとも簡単に政権を投げ出す。国際政治の場で信用されないばかりか、国内政治の一貫性も保つことができない現象が繰り返される。

最近の歴代首相の在任期間の短さを、「一九四〇年代に生まれた世代、つまり現在の六十歳から七十歳の政治家が、人間的に軽いからではないか。苦しみに耐えて国民に奉仕するという気構えが足りないように思います」と分析するのは、首都圏在住の教育行政経験を持つA氏である。

「この世代の人々は、敗戦で価値観が激変した時代に生まれ、教育を受けた。当時の教師は、墨を塗った教科書を手に、軍国主義から民主主義への転換期にあって、及び腰で教壇に立っていた。その教育を受けたのが、今の六十代の人々です」とA氏は言う。

さて、森戸辰男という人物を知っておられるだろうか。大正八年、東大経済学部助教授時代に発表した論文「クロポトキンの社会思想の研究」の内容が危険思想であると批判され、大学を追われた"森戸事件"の主である。

森戸氏は戦後、衆議院議員となり、片山・芦田の両内閣で文部大臣を務めた。六・三・三制や教育委員会制度などを実施、教育のあり方を抜本的に改めた。政界を引退すると、出身地に新設された広島大学の学長を、昭和二十五年から三十八年まで務めた。

学長就任の直後、筆者は森戸氏を訪れ、座右の銘を尋ねたことがある。森戸氏は即座に筆を執り「憂以天下」の四字を揮毫して筆者に示した。「憂うるに天下をもってす」と読む。

「この言葉は中国の戦国時代に、梁の恵王から君主の道を問われた孟子が答えたものだ。君主たるの道は『仁義を重んじ、楽しむに天下をもってし、憂うるに天下をもってす』ということにある。つまり、民の喜びや悲しみを自らの喜びや悲しみとすべきである、と説いている」と森戸氏は解説してくれた。

さらに「現代の政治家や学問をする者にも、この言葉を学んでほしい。世界の人々と共に憂い、共に楽しむ心掛けが必要だ」と言葉を続けた。

森戸氏のこの真意は、教育の現場でどれだけ理解されただろうか。天下と憂いを共にするどころか、ちょっとしたつまずきで職を辞する宰相が相次ぐ。それを見習うかのように、せっかく就職しても長続きせず職場を去ってゆく若者が多いことを、前記のA氏は嘆いていた。

孔子・孟子の道、つまり儒教精神を見直すことも必要なのではないか。ある総合雑誌の新年号は「英語より『論語』を」と題した識者の対談を特集している。