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日本人の利他精神と宗教的な寄付の伝統

2011年2月1日付 中外日報(社説)

年末から年初にかけて話題を呼んだタイガーマスク現象については、本欄でもすでに触れた。これに関連して、さまざまなメディアでわが国の宗教的寄付文化について、それが社会に根付いていないという批判的観点から論評されることもあった。だが、そうだろうか。ここでは日本の宗教的な寄付の伝統について少し立ち入った検討をしてみたい。

日本の村落社会や家族や親族共同体には長い時間を経て相互扶助の精神が根付いてきた。そしてそれは氏神や祖先祭祀と密接に結び付いていた。

他方、仏教は布施・寄進や礼拝供養を通して、奉献する文化を培ってきた。それは困った人のために精神的物質的な支えを提供するというような要素も含むものだ。日本各地で生活に役立つわき水や水路を、昔、行基や弘法大師ら偉大な僧侶が作ったものだと言い伝えているのはそのよい証拠だ。

これらを宗教的な背景を持った無償の贈与の文化と考えると、日本の伝統はこの点で決して弱体というわけではなかった。近代になって、私利の追求を是とする資本主義が広がっていっても、この精神がにわかに衰えたというわけではない。

例えば、天理教では「人だすけ」が勧められ、金光教では他者を「かわいいと思う心」が尊いものとされた。伝統仏教系の社会事業において、布施や慈悲の精神は大いに生かされた。仏教系の新宗教においては、菩薩行・利他行の理念が盛んに実行に移された。

では、バブル崩壊後の無縁社会化状況において、宗教的な利他主義的実践はなぜ注目されていないのか。

一つには一般社会が宗教集団の活動をよく知らず、過少評価しているということがある。

もう一つの理由は、新宗教や会社文化において顕著なのだが、利他主義的な実践と考えられているものが仲間うちの支え合い、あるいは潜在的な仲間への親切に向きがちだったということだ。人助けが内向きで、広い外部世界に向けて、当事者のニーズに即した援助の手を差し伸べていくという考え方が足りなかったのだ。

どうして利他主義が内向きになったかというと、これはまた国家にお任せするという考え方が強かったこととかかわっている。

戦時中には国家と一体化した人助けが活発に行なわれた。例えば、愛国婦人会や国防婦人会は戦死した兵士の家族を助けるなど、「銃後」の助け合いに奮闘した。例えば地域寺院はそれらに積極的に協力してきた。

戦後もこうした宗教的な利他精神、贈与の精神は続いてきたが、今度は福祉国家への期待に引きずられることとなった。社会福祉は国家が整えるものだという理念が強く作用し、宗教集団をはじめ民間の力を活用する機運がなかなか育たなかった。

タイガーマスク現象には日本人の利他精神やよき社会を願う善意が反映しており、それは日本の宗教的伝統と深くかかわったものだ。

それに対して、現代日本の諸宗教集団がそのような動向に適切な関与ができているかどうか、大いに反省する余地はあろう。

無縁社会化の苦悩に、宗教に根差した贈与文化、寄付文化が活発に対応している――そう答えられるような方向に動くことは充分に可能なことだろう。