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思いの連鎖を生む「大きな物語」の力

2011年2月15日付 中外日報(社説)

アラブ圏の盟主エジプトで、長年強権的な政治を続けたムバラク政権が、広範な人民の抗議活動によってついに崩壊した。

民衆が独裁的な大統領を倒したチュニジアの「ジャスミン革命」が波及したといわれ、この動きはヨルダンやイエメンなど「独裁的政権」とされる周辺諸国にも連鎖的に広がっている。

これまで抑圧され、物言わぬかのように見られていた民衆の、いったん盛り上がった連帯の動き、広がりは、そう簡単に収まらない。

同じように、社会の深いところにあり、普段は見えにくい人々の「思い」の連鎖、広がりを想起させる出来事が、このところ日本国内でも相次いだ。

社説でもたびたび取り上げた「タイガーマスク現象」は、個々の寄付の行ないもさることながら、その「輪」が昨年末からわずか十数日で全国に燎原の火のように広がったことが驚きだった。最近は報じられなくなったが、それは善意の連鎖が消えたのではなく、いつもながら「トレンド」を追うマスコミが取り上げなくなっただけだろう。

続いて先日、JR新大久保駅で線路に転落した男性を救出しようとして韓国人留学生が亡くなった事故が十周年を迎えた。遺族には日本から二千通以上の手紙が届き、今なお墓に供花も絶えないという。

そして、静かな大ヒットを呼んでいる植村花菜さんの「トイレの神様」。幼いころに深い愛情で育ててくれ、トイレ掃除の大切さなど人生のさまざまなことを教えてくれた、亡き「おばあちゃん」への思いをつづった歌だ。

それが年齢層を超えて支持され、インターネットでも「感動で涙が止まらない」「自分も家族をもっと大事にしようと思う」「掃除をして親孝行する」など投稿が広がり続けている。

これらに見られる、「捨てたものじゃない」「やるじゃないか」「その気になれば自分たちにもできる」という感慨の広がり。それぞれの根底に共通するのは、ある種の「物語の存在」である。

彼方では「われわれは自分たちの手で自由を獲得できるのだ」という思い。それは、欧米先進資本主義国がこれまで独裁政権を強固に支えて来ながら、自国の権益にとって形勢不利と見るや、「やはり民主化は推進すべきだ」と手のひらを返したように「歓迎・支持」を表明する、そのようなご都合主義的なレベルよりはるかに深い、人間解放への意思に基づいた物語だろう。

「タイガーマスク現象」では、少なくとも最初に児童施設に寄付を実行した人物、そして、その「名」を引き継いで輪を広げた人々の心中には、孤児として施設で育ちレスラーになって稼いだお金で子供たちに夢と希望を贈った、かの劇画の主人公伊達直人の善意の「物語」がはっきりと思い起こされていたはずだ。

同様に、新大久保駅事故も「トイレの神様」も、この「絶縁社会」の中で、人と人とのつながりやきずなの大切さ、他人への思いやりの大事さを分かりやすく「物語」として人々に見せ、再認識させてくれた。

物語は、それが言葉で「語られる」以上に、「行ない」を通して現実に生起することで、人々により力強く訴え掛けるものだ。

ささやかな例でいえば、「他人に親切にしましょう」と口で説くより、混み合った通勤電車で若者がお年寄りに席を譲った時、ぎすぎすしていた車内に温かい空気がさっと広がるのを実感した人は多いだろう。

チュニジアでは、父の死で生活苦にあえぎ家族を支えるため路上で野菜を売っていた失業青年が、警察に摘発されて抗議の焼身自殺をするという悲しい出来事が発端となり、人々の大規模な行動が具体的な形を見せて国境を越え広がった。

かつて、大量消費経済や高度情報化に裏打ちされたポストモダンのこの時代、世界規模での人類の解放や諸国民の幸福といった「大きな物語」が終焉し、代わって個人の行動様式を軸にした「小さな物語」が中心となる、と主張された。

だが、世界的な貧困や戦争、国内でも苛烈な格差や絶縁社会の現実を前にして、この主張の虚構性を指摘する意見も多い。

人々は、経済効率至上主義や科学技術万能主義の行く末に、「生きにくい社会」「いのちの危機」を現実として感じ取り、新しい生き方、この社会や自分たちを導く指針という「大きな物語」を模索している。

世界的な「宗教復興」が言われるが、宗教には本来、そのような「大きな物語」が確かに備わっている。今こそ、力強い「物語」を、宗教が現出させることが期待されているのではないか。