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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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バスのラジオで知った震災情報

2011年3月26日付 中外日報(社説)

「すぐホテルを予約しなさい」。東日本大震災発生直後の十一日午後三時すぎのことだ。神奈川県鎌倉市在住の女性詩人、Aさんの携帯電話が鳴った。発信者は、大阪在住の叔父に当たる人である。

Aさんはその日、首都圏に住む女性文筆家数人と、東京都文京区の護国寺に近い文化会館で、同人雑誌の合評会を開いていた。会が終わりに近づいたころ、会館の建物が激しく揺れた。しかし壁は落ちないし、窓も割れていない。普段よりやや規模の大きい地震だと考え、そのまま意見交換を続けた。

ところが大阪の叔父は、テレビの速報を見て、これは大変だと感じたらしい。阪神・淡路大震災の経験に照らして、その日都内へ出向いているはずの姪Aさんが、六十キロ離れた鎌倉の自宅へ帰るのは困難、と判断した。いわゆる帰宅難民化するよりも、都内のホテルに泊まる準備をした方がよいと考え、電話回線が込み合わないうちに、Aさんに助言をしたものだ。

だが、文化会館の付近にホテルはない。有名ホテルの予約が取れたとして、そこへ行くまでの道が遠い。Aさんたちは会を締めくくると、取りあえず最寄りの地下鉄駅へ行ってみた。すでに人だかりができていたが「運休中」の掲示が出ている。なぜ止まったのか、いつごろ動くかについて、駅員は何も知らされていなかったという。

日本人は、電車やバスを待つ時には整然たる行動を取るけれども、公共の交通機関が止まったと知ると、一斉にマイカーに乗り込む傾向がある。大阪の叔父が予想したように、道路の渋滞ぶりは刻一刻とひどくなった。JRの駅へ出るどころではなく、Aさんはその夜、埼玉から来ていた二人の仲間と共に、文化会館からごく近い、Bさん宅に泊めてもらった。

自宅が世田谷区にあるCさんは、運良く新宿行きのバスに乗ることができた。しかしその先の私鉄が動かず、二時間かけて歩いたそうだ。年齢的に、かなり苦労したとか。

もう一人、隅田川近くのマンションに住むDさんの場合は、二本のすし詰めバスを乗り継ぎ、後は歩いて、夜九時ごろ自宅に帰り着いた。これが、中高年の女性文化人たちの"震災"体験である。

Dさんがありがたいと思ったのは、一台のバスの運転手が、ラジオのスイッチを入れてくれたことだ。おかげで、震源が宮城沖であること、マグニチュードは8・8(当時の発表)であること、最大の津波の高さが七メートルであることなどが分かった。すし詰めの車内で立っていることが苦にならなかった。

路線バスでラジオを聞かすのが会社の就業規則に触れるかどうかは不明だが、出先にあるため情報を持たない乗客にとって、何よりのサービスだった。この日の運転手の機転と配慮は、称賛されてよい。運行再開見込みを問われて答えられなかった地下鉄は、ぜひ他山の石としてほしい。

さて、先日の日本経済新聞は、震災地でも先着順の行列を崩さぬ日本人の沈着さに、諸外国から感嘆の声が寄せられたことを伝えていた。救援活動や復旧作業に当たる人々の誠実さも注目されているという。それはそれで誇るべきことではあるが、いわゆる買い占め行動には、反省の余地があるのではないか。

都内に住む筆者の知人は「一部のスーパーでは、あっという間にお米やパンが消えた」と嘆いていた。名古屋在住の孫に相談したら「こちらも品切れ状態だ」とのことだった。

関西はそこまで進行していないが、懐中電灯や乾電池が売り切れ、ボトル入りの水やカップラーメンなども品薄だという。三十八年前のオイルショック以来、経済行動に関しては「煩悩無尽」というほかはない。諸外国の称賛に甘えてばかりはいられない。