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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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不安かき立てる紙面作りが心配

2011年3月29日付 中外日報(社説)

「専門家や新聞記者たちは、原子炉が原爆のように爆発することなど原理的にありえないとわかっていますから、『原発で爆発』という見出しを安易につけてしまいますが、知識のない一般の人は、不安をかき立てられてしまうのです」

時事問題を平易に解説することで知られるジャーナリストの池上彰氏が、先日の朝日新聞の「新聞ななめ読み」欄に、このような寄稿をしていた。

災害報道といえば、被害の規模、被災者数の大きさを伝え、救出や復旧の経過を知らせるのが常識だったが、今回の東日本大震災では、もう一つの要素が追加された。福島第一原発をめぐる問題である。

地震と津波のため正常運転が止まり、制御が困難になった原子炉の"火"を、いつどのように制御できるのか、その間に漏れた放射能が人体に、生活にどんな影響を与えるのか。周辺でとれた野菜や牛乳を飲食しても大丈夫なのか……。

いわゆる一過性報道でなく、現在進行形の報道がいつまでも尾を引くのが、今回の特徴だ。池上氏は、朝日だけでなく各紙を含め、刺激的な紙面作りが読者の不安を必要以上にかき立てていると指摘する。

ベクレルやシーベルト単位の各種の数値が、震災前より高くなっているのは事実であろう。しかしその基準値は、かなり大事をとって定められていることも理解すべきだ。

本欄に、個人的体験を記すのは慎重を期すべきであるが、あえて記すことにする。筆者は昭和二十年八月六日、旧制中学校四年生の時に広島で被爆した。爆心地から一・五キロ、木造校舎の中だった。福島第一原発周辺の被ばくとは比較にならぬ強い放射能にさらされたことになる。

同じ教室に二十六人がいて下敷きになり、うち二人が即死またはそれに近い状態で犠牲になった。二十四人は生き延びた。

その後、三十代から五十代にかけて三人が亡くなったが、残りは、還暦を超えた。満八十二歳の現在、十四人が健在である。

筆者は、被爆直後の数日間、体がだるくて仕方がなかった。今思えば、急性放射能症の前触れだったのかもしれない。

ところが避難先の農家の友人から、大きなトマトを二つもらって食べたのを境に、体のだるさが消えた。新鮮なトマトの栄養分が、体に有効に働いたのだろうか。当時、トマトは貴重品だった。筆者はそれ以後、病気らしい病気もせず、今日に至っている。そのトマトを栽培した場所は、爆心から約三十キロ。福島第一原発と飯舘村の距離だ。

広島の原爆と福島の原発は条件が違うから、一概に決め付けることはできないが、当時の広島で、このような例もあったことをお知らせしたい。報道に振り回されず、冷静に読み取る判断力が望ましい。

よく読めば各紙とも、適切な解説記事を掲載していることもあるのだが、扱いが地味になりがちである。新聞の業界では、最もインパクトの強い見出しが良い見出しであるとの"神話"が幅を利かせ、それが風評被害などを生む一つの原因ともなっている。

テレビのリポーターが、放射線医学の専門家に「この数値をどう思いますか」と畳み掛けるように質問する場面を何度も見た。多くの場合、専門家は、冷静な応答をしている。

前記の朝日新聞寄稿で池上氏は「(専門用語が理解できぬため一般の人の不安が増幅することのないように)専門用語をわかりやすく"翻訳"することも新聞やテレビの役割なのです」と記している。

そこで思う。宗教者で、医師の資格を持つ人が何人もいる。こうした人々がその見識と体験に基づいて発言すれば、世間の動揺はさらに抑えられるのではないか。何事もあまねく見通す仏の如き「正知」の力が期待される。