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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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伝えられなかった避難所の設置情報

2011年4月19日付 中外日報(社説)

東日本大震災から1カ月余、各地ではなお余震が続く。さまざまな問題が尾を引く中で、東京電力の計画停電は当面、中止された。企業も家庭も、節電に努めたためのようだ。

その一環として、鉄道の各駅や商業施設では、エレベーターやエスカレーターの一部または全部が止まった。埼玉県川越市から都内へ通勤するAさんは、足が悪いため朝夕の駅構内で苦痛を感じているが、周囲の通勤者ともども、黙々と耐えている。

Aさんは平素から、交通機関が止まったらどう対応するか、心の準備をしているつもりだった。ところが震災当日、交通機関のほとんどが止まったと知った時、勤務先に水も食料も準備していないことに気付いた。

日付が変わったころ、私鉄が動き出したことをテレビで知り、勤務先から駅へ行ったが、電車は途中でストップした。幸い電話が通じ、息子に車で迎えに来てもらった。だが道路は渋滞し、帰宅は午前6時になってしまった。

「川越から都内まで、普段なら電車で30分程度。地図で見ても近いようですが、江戸時代には2日の行程とされていました。甘く見てはいけません」がAさんの反省談である。

新聞の中には、記者自身が取材先から帰社する手段を失った体験を記事として掲載したところもあった。その中で毎日新聞には、深夜の東京メトロ(地下鉄)駅で記者が出会った、千葉県の主婦3人のことが伝えられていた。

3月の東京の夜は寒い。主婦たちはどこか夜を過ごせる場所はないかと、駅や交番で尋ねたが、知らないと言われたそうだ。

記者が携帯電話のインターネットで調べ、ある官庁の別館が一時避難所になっていると教えると、喜んでそちらへ向かった。

東京都は地震発生直後、帰宅困難者のための避難所として、公共施設の開放を要請したという。しかし一般にはその情報が伝わらなかった。これでは結果的に「仏作って魂入れず」だ。地下通路で6時間過ごして朝を待った専門学校生は、避難所の情報を駅や交番に張り出してほしかった、と批判しているとか。

他の地方で震災が起こっても、都市は都市なり、過疎地は過疎地なりに帰宅困難者が出るだろう。今回の地震では幾つもの宗教施設が緊急の判断で開放され、感謝されている。行政側も、せっかく準備した一時避難所が活用できるよう、情報伝達方法に万全を期すべきであろう。