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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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被災者の心のケアと宗教者が果たす役割

2011年5月10日付 中外日報(社説)

東日本大震災の被災者の苦難と悲しみはなお重い。避難所の生活が長期化すれば、身体的・精神的に疲労が蓄積する。地震・津波・放射能の恐怖は脳裏を去らない。大事な肉親、友人を失った心の痛みはなかなか癒やされない。この現状で「心のケア」の必要性が語られるのは納得できることだ。

そもそも「心のケア」とは何だろうか。思い浮かべるのは臨床心理専門家の助言、カウンセリングや、時には精神科医が薬を処方したりすることだろう。「専門家」というと科学が意識され、科学の裏付けがある訓練を受けた看護師、臨床心理士などの「師」や「士」が念頭に上るからだ。

人の心をケアすることは多くの人が日常的に行っている。親は子の心に注意を払い、子は高齢の親のため周到に気を配り、配慮ある行動をする。ところが災害では家族や知人が亡くなり途方に暮れている。家族や知人相互の間のこうした心のケアでは間に合わない衝撃や葛藤があり、だからこそ専門家の援助が求められるのだ。

ただ、通常の心のケアでは間に合わない衝撃や葛藤に応じ、人々の心の奥深くに慰めを与えることは宗教の役割であった。死別の悲しみにある人々にとって霊前、墓前での礼拝、供養は悲しみを癒やすためには欠かせない営みだ。このたびの震災では行方不明者も多く、身元の分からぬ遺体が多数見いだされたため、通常では行われない形態の葬送が執り行われ、それだけ葬送儀礼が目立つことにもなった。「心のケア」のさまざまな様態の中で宗教が重要な一角を占めることをよく示している。

もちろん臨床心理士や精神科医などさまざまな専門的職種の人々も、被災者に対してよき役割を果たせるだろう。だが、特定の形態だけが正統的な心のケアだというわけではない。伝統的なもの、新しいもの、宗教も含め多様な心のケアがあることを前提にそれぞれの役割を探っていくべきだろう。

宗教者は自らが広い意味での心のケアを求められており、その役割を果たし得るという認識を強めていく必要がある。それは教師として特定の教えを上から信徒に説くのとは異なる。ニーズを持つ人たちに寄り添い、その言葉にじっくり耳を傾け、謙虚に援助をする役割を果たすということだ。

そこに宗教によって培われた知恵や経験が生かされ、スピリチュアルケアと呼べるような心のケアのあり方が現れ出てくる。そのような心のケアのあり方を身に付ける超教派的な教育・学術システムを築いていくことも必要だ。