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こぼれ落ちゆく音拾って生物学研究

2011年5月28日付 中外日報(社説)

「散りばめられた音を、こぼれ落ちゆく音を拾い集めながら、難聴者として歩み始めた新参者の話にお付き合い下さい」

大阪府寝屋川市・法華宗本門流正立寺の季刊寺報『サットバ』の平成23年春号に寄稿した坂原瑞穂さん(29)の「うたかたの響き」の一節である。

坂原さんは正立寺の檀徒ではないが、女子中学生だった15年前に川口日空住職と知り合い「十四歳のこころ」と題した作文を『サットバ』に掲載してもらった。作文は高校に進み「十六歳のこころ」となるまで数回続いた。『サットバ』は檀信徒以外からの寄稿も受け入れ、教化誌でありながら読者層を広げていた。

坂原さんは神戸大学医学部の大学院を経て、現在は東京大学大学院医学系研究科の疾患生命工学センター動物資源学部門で細胞生物学の研究に励んでいる。『サットバ』への作文寄稿を機に、文章をつづる才能も伸ばした。

ところが11年前、大学に進学するころ、聴力障害のあることが分かった。年と共に難聴は進み、2年前から補聴器を使い始めた。坂原さんは記す。「難聴者になりきれていなかった頃の私は、無意味な努力を続けていました。どうすれば『聴者』の仮面をかぶり続けられるか……」

だが、中途失聴・難聴者協会の集まりで、同障者に教えられた。自分が難聴であると伝えることは「相手のため」でもあり「自分自身を守るため」でもあると。「障害を受け入れられず、心の葛藤を繰りかえしながらも、ようやく難聴者の立ち位置に落ち着きつつあります」という。

耳が不自由なら手話、というのが社会常識だ。しかし高度の研究内容は、手話では完全に伝わらないこともある。「日本語が第一言語なので、筆談のほうが今の私には一番しっくりくるのです」と坂原さん。「難聴者の私は(まどろっこしさもあるが)相手に伝わるまで筆談ボードに書き続けます。筆談には筆談のスピードがあって構わないと思うからです。声と同じ速さでなくとも、伝わることが大事なのですから」

川口住職が『サットバ』に坂原さんの寄稿を掲載したのは「障害者とともに生きる」心を広く啓発したかったからではないか。耳の障害は外見では分からない。坂原さんの具体的な聞き取りにくさを紹介する紙幅がないのが残念だ。寺院の法話の席では、手話や要約筆記奉仕員の活躍する機会がまだ不十分だとの声もある。住職方の理解を期待したい。