ニュース画像
6メートルの高さから流れ落ちる「法水」に打たれる神輿と奉仕者
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

無責任なメールの後に残る"空しさ"

2011年9月8日付 中外日報(社説)

問題が動いている時は書くのを控えていたが、大文字の送り火問題では、京都の看板に傷が付きましたね、と言いたい。

岩手県陸前高田市の海岸に、名物の松並木があった。津波で、一本を残して倒された。その松の木を護摩木に切りそろえて、地元の人が震災の犠牲者を偲ぶ言葉を書き記し、京都へ送って大文字の夜、焚き上げてもらうことにした。死者のため、何よりの供養になるはずだった。

ところが京都・大文字保存会に抗議の電話やメールが相次いだ。「セシウムで京都の空が汚れる」「その灰が琵琶湖に落ちたらどうする」などと。

やむなく中止を決めたら、今度は「なぜ取りやめた」と、逆の抗議が殺到した。そこであらためて、京都五山全体で焚き上げることにした。念のため護摩木の検査をしたら、ごく微量のセシウムが検出された。結局は中止だ。当事者は真剣に対応したのだろうが、結果としては後味の悪いドタバタ劇との印象を残した。

京都の自治体からは、東北の役所を支援するための要員を派遣しているし、民間のボランティアも出向いている。そうした努力にもかかわらず「百の説法ナントカ一つ」の結果に終わった。ある新聞の投稿欄には「京都人の『一見さんお断り』の閉鎖的体質が出た」との意見が掲載された。

だがこれは、京都人に限ったことではない。震災の後各地で、福島ナンバーの車に「早く帰れ」の紙が貼られたり、福島からの転校生に「放射能がうつる」といじめをしたりの例が、何回となく報じられた。

見方を変えれば、沖縄の基地問題に似た点がありはしないだろうか。米軍機の騒音に悩む沖縄県民に同情はしながらも、その基地の一部を自分の住む地域には絶対に受け入れようとしない。それが日本人の体質ではないか。

五山送り火問題について、精神科医の斎藤環氏は、放射能が一種の「ケガレ」として受け止められている、とみている。毎日新聞への寄稿によると、日本神話起源の「ケガレ」感覚は、仏教以上に、日本人の日常生活に深く根を下ろしている、と分析する。

ところで、送り火問題を二転三転させた電話やメールは、匿名性の強い通信手段であることに注目したい。ある国々では、独裁政権を批判し崩壊させる武器ともなり得たものだが、日本のような国では無責任な言論を助長することも多い。その後には、言いようのない空しさが残るのみである。