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66年前を想起する作家の静かな抗議

2011年9月17日付 中外日報(社説)

「核」に対する静かな抗議。それが作家・竹西寛子さんの近著『五十鈴川の鴨』=幻戯書房=の底流ではないだろうか。

主人公の男性の「私」は、同業の会社の岸部と知り合う。連れ立って伊勢の神宮に参拝し、五十鈴川を泳ぐ鴨を眺める。「近くカイロへ赴任する」と告げた岸部は、その直後に病死した。

同僚の女性に託された"遺書"で「私」は、岸部が広島で被爆したため、後遺症とみられる病気に悩まされ続けていたことを知る。まさに広島出身の竹西さんの人生と重なる部分が多い。

ほぼ同時に出版した随筆集『一瞬の到来』=青土社=の中で竹西さんは、2年前に「肺炎」のため約1カ月臥ったと記している。そのまた2年前にも高熱続きに悩んだ。抗生物質を投与されてもなぜか効きにくかった。

爆心から2・5キロの自宅で、竹西さんと共に被爆した母親は、やがてがんで亡くなった。近親者にがんを病んだ人はいない。原爆の影響かと問う竹西さんに、複数の医師の答えは「そうかもしれないが、そうではないかもしれない」。どう理解したらよいのか。

さらには「被爆のことは被爆者だけの問題ではない。そして被爆者の一人としては、つねに、この経験をもたない人の目をもつ心がけが必要になる」と記す。

そして竹西さんは今年3月、東日本大震災に直面し、原発事故をめぐるさまざまな報道に接した。生き永らえ、半世紀以上も経て、ヒロシマを否応なしに想起させられようとは、思ってもみなかった。「二つの記憶を繋ぐ六十六年の国の歩みが、繁栄とは何であったかを考えさせられる」

66年前、被爆者は何の情報も与えられぬまま、井戸水を飲み、放射能に汚染された食物を口にし続けた。被爆した場所に4年間住み続け、人間の尊厳など吹き飛んでしまったような日々を生きた竹西さん母娘。

その体験を持つゆえに、今回の原発事故では、なぜ丹精込めて育てた野菜を全部廃棄し、しぼり取った牛乳を捨てなければならなかったのかなど、絶叫に近い農民の声に共感しながら、共感だけでは済まぬ点があるとも思う。

今、竹西さんが抱き続ける疑問は「もし広島・長崎の被爆が、国の事実としてもっと誠実に、切実に認識されていたら」原発の事故処理がこれほどもたつかなかったのではないか、ということだ。不立文字的というか、激しい形容詞を伴わないこの静かな抗議が、新しい内閣に届くことを願う。