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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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「行ッテ」そこにいる隣人に寄り添う意味

2011年11月10日付 中外日報(社説)

東京・山谷や大阪・釜ケ崎など日雇い労働者が集まる街が「寄せ場」と呼ばれる。人々だけではなく、高齢化や「無縁死」の問題、経済格差や不況で仕事が激減したことによるホームレス化など社会の矛盾も寄り集まっている。

先に京都で開かれた「全国交流会」では、仙台で震災によって野宿者がさらに厳しい状況に置かれていることや、各地の原発を回って仕事を続ける労働者の、命を危機にさらしながらの過酷な作業実態の報告が相次いだ。

これらの現場で寄り添い、共に支える宗教者たちの話の中で、釜ケ崎で自らも日雇い仕事をしながら活動するキリスト教者の鋭い指摘が心に残った。

「他人を助けなさい」という教会の説教にどこまで説得力があるのか、ということだ。「隣人愛」の手本として常に引用される聖書の「ルカによる福音書」第10章の「良きサマリア人」の逸話では、強盗に襲われ弱っている旅人に、通り掛かって気の毒に思ったサマリア人が世話をし、施す。

しかし、もし彼が強盗に襲われているその最中に居合わせたならどうするか。一緒に強盗と闘ってでも助けるのか、それとも傍観していて、事が済んでから「大変だったね」と手を差し伸べるのか。

このキリスト教者は「寄せ場での労働者たちの窮状は、まさに強盗被害そのものです。目前に起こっている危険な事態に迅速に対応しなければ」と訴えた。

「例え話」ではなく、現に野宿者には、雇用の冷え込み、公園からの追い出し、そして冬に向かって路上での凍死など危機が迫る。

被災地で「雨ニモマケズ」が共感を呼んでいるという。法華信仰者でもあった宮沢賢治のその詩の最も重要な言葉は、「行ッテ看病シテヤリ」などと繰り返される「行ッテ」なのだと、支援活動に赴いた仏教者が語った。

待っているのではなく、こちらから「行く」ことこそ大事なのだ。ルカ書の同節末にも「そこでイエスは言われた。『行って、あなたも同じようにしなさい』」(日本聖書協会・新共同訳)とある。被災地で出会った牧師も、その姿勢の大事さを訴えていた。

釜ケ崎で長く活動を続ける本田哲郎神父は、「隣人を自分自身のように大切に」という教えをこう説く。「自己を中心に隣人を捉えるのではなく、隣人を必要としている人の所へあなたが行き、その隣人になって初めて、その人を大切にするということが生きてくるのです」。それは、寄せ場でも被災地でも同じことだろう。