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ビハーラの課題 仏教的看護とは

2011年11月29日付 中外日報(社説)

「大晦日すでに肺転移との告知」。新潟県・長岡西病院のビハーラ病棟で、がんで60歳の生涯を閉じた女性の句だ。

仏教ホスピスに代わる「ビハーラ」の語は定着してきたが、その内実はまだまだ確定的ではない。「仏教を背景としたターミナル施設というなら、緩和ケア病棟ではない一般病棟はビハーラの対象外なのか。そちらで亡くなる患者の方が圧倒的に多いのに」。僧侶でもある同病院の村瀬正光・緩和ケア部長が以前、仏教看護・ビハーラ学会で提起した問いは重い。

さらに、仏教が生老病死という人間の苦の総体に関わるいのちの指針であるなら、末期に限定することも疑問が湧くが、仏教的看護の具体的内容についても課題が多い。例えば医師が、この宗教的概念を医療行為にどこまで反映させていいのか。「人生は無常」という考えで、患者本人の意に反して延命治療を一方的に中止するなら、やはり問題になるだろう。

ただ村瀬部長は、医療だけでは取り除けない苦痛への対処や、「なぜ私が死ななければならないのか」という科学や医学では答えのない問いに答えるのに仏教が果たす役割を強調する。看取りを前に、がん患者の家族が「仏様に告知してもらえたら」と語ったという。答えのない問いへの対応はスピリチュアルケアとも言える。

それは患者や家族にも医療者にとっても意義があることで、ビハーラの看護師は、患者への接し方で仏教的死生観が重要なバックボーンになった経験を語っている。

ただそれは、単なる「心掛け」や、その姿勢で言葉を掛けるというだけの問題ではなく、日常的な身の回りの世話などを通じて醸成される信頼関係が前提だ。それで初めて「患者様から温もりを頂く」ことができるのだという。震災被災者への「心のケア」が、生活支援などを通じてこそ実現するのと同じことだろう。

そうして温かい絆で結ばれた看護師が、「先立った娘に会いたいので早くお迎えが来てほしい」と願っていた末期の患者が亡くなった時、「良かった」と心から喜べたという逸話は、誤解を受け付けない深みがある。

「初春や亡き子に会える遠からじ」。冒頭の女性は、告知直後の正月にこの句を詠んだ。その妻の遺稿集を出した夫は、20年前にも10代の次男を病で失っている。「何故こんな目に」の思いで宗教書を読みあさった。そして今、「『正解』はない。だが、そこには応答という意味での『答え』はある気がする」という。