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権力者に利用されぬ したたかな隠者の話

2012年1月31日付 中外日報(社説)

中国の正史は逸民伝や隠逸伝などの名のもとに、隠者の伝記を収めている。隠者とはいっても、悟り済ました世捨て人では必ずしもない。いずれ劣らぬ曲者ぞろいであり、彼らに共通して認められるのは、世俗に対する抵抗と冷眼、それに高踏的な態度である。

『論語』の微子篇が「其の志を降さず、其の身を辱めず」として逸民の筆頭に名を挙げている伯夷は、その伝記が『史記』の列伝第一に置かれてよく知られているように、周の武王に異議を唱えた上、周の粟(穀物)を食らうことを拒否し、首陽山に隠れて餓死した。

同じく『論語』の堯曰篇には「逸民を挙ぐれば、天下の民は心を帰す」、すなわち逸民を抜擢するならば天下の民の心を帰服させることができる、という言葉もある。うっかりすると逸民は為政者の人気取りのために利用されかねないような危うい存在でもあったのだ。

正史の中で、数人の隠者の伝記をひとまとめにして収めるのは『後漢書』の逸民伝が最初。そこに載せられた逸民の一人である井丹、字は大春の伝記は次のようなものである。

後漢の光武帝の建武年間(25~56)のこと。諸王たちは「五経紛綸(博大)たり井大春」と噂されるほどの学者である井丹を是が非でも自分のもとに招致したく思ったものの、なかなか思いはかなわなかった。そこで皇后の弟である陰就なる人物が、千万銭を提供するならば思いをかなえてやろうと諸王たちに持ち掛けておき、井丹を無理やりわが家に連れてくる。

陰就がわざと麦飯と葱だけの粗末な食事を提供すると、井丹は言った。「殿がうまい食事を提供すると聞いたのでやって来たのだ。それなのに何ともけちなことだな」。そこで陰就があらためて豪勢な食事を用意すると、うまそうに平らげた。あっけに取られる陰就が席を立とうとしたところ、供の者が人力車を差し出した。すると井丹は言った。「桀王は人間に車を牽かせたとか。これがそれなのだな」

桀王は夏王朝末代の暴虐で聞こえた天子であり、『帝王世紀』なる書物に「桀は人を以て車に駕す」とある。車に馬をつけるのが「駕」の本義。「人を以て車に駕す」とは、人間を馬同然に扱ったというわけだ。

このようなことがあって以来、井丹は世間との交渉を一切絶ち、天寿を全うして一生を終えたという。彼もしたたかな隠者の一人だった。