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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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宗教は人間理解の共通的基盤である

2012年3月15日付 中外日報(社説)

日本がエコノミックアニマルと評されたのは1960年代のことだ。欧米をはじめ世界各国が、当時の日本経済の急激な成長に脅威を感じたことが背景にあった。もとは称賛の意味があったともいわれるが、広まった時点では批判的ニュアンスが強かった。文化的な問題にあまり関心を払っていないかに見える日本企業の姿勢も関係していたと考えるべきである。

それから半世紀近くになろうとしているが、この間、日本企業もそれぞれの国の文化的理解にかなり力を注ぐようになった。しかしこと宗教となると、二の足を踏んでいるのが現状である。

それでも最近は変化の兆しが、あちこちでうかがえる。経済誌が宗教を特集する例も、よく目にするようになった。従来よく見られたような、もっぱら興味本位のものも散見される。だが、宗教をきちんと理解したいという意図がうかがえる記事も増えてきた。

おそらくグローバル化が進行する時代に、文化面での理解を深めようとするなら、宗教という要素に目を向けることが必須である、と気付いたのであろう。同時に、いざ世界各地のさまざまな宗教について、基本的知識を得ようとした時、学びのシステムがほとんどないことも分かったはずである。

例えば食品産業であれば、食の戒律に目を向けなければならない。ゲーム開発であれば、各宗教での禁句とか、タブーになっている行為も知らなければならない。宗教的知識の欠如が営利の妨げになるばかりでなく、国際的な人の交流に水を差すことにもなりかねない。すでにそうした事例は幾つも起こっている。

では企業が宗教文化の学びの重要性に気付いたとき、宗教を研究している人や、宗教家はどのように対処すべきであろうか。どういう支援が可能だろうか。

世界宗教者平和会議のような、国際的な宗教者の交流が幾つかある。そこでは協力を目指しつつも、なかなか合意に達することができない事柄がある。つい陥りがちな誤解というものも体験しているはずである。このような宗教者同士の交流から得られた教訓を、社会一般に公開し、企業関係者に知ってもらうことの意味を検討するのも一つである。

その際に、宗教を特殊なもの、宗教家だけが迫り得る特別な世界というふうに提示しても、企業活動している人たちの心に届くとは思えない。人間理解、あるいは異文化理解のための基盤となるような問題を提供しているのだという視点を基本とすべきであろう。