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原発の刑事責任は? 事故をどう断罪する

2012年5月12日付 中外日報(社説)

多くの人々に迷惑を掛け、生命・身体・財産に具体的な被害を与えるようなことをすれば、民事上の損害賠償とは別に、「犯罪」として告発され刑事責任を問われるのはよくあることだ。

ブレーキも満足に働かない車を猛スピードで走らせれば事故は必ず起きる。設置がずさんな看板が風で飛ばされる、管理に欠陥がある工場が雨によって有毒廃液を流出させる。

「まさかこんなことになるとは思ってもみなかった」と言い募っても、それは「想定」がいい加減であることを示すだけで、過失責任や場合によって「未必の故意」責任を免れない。

それが国策と周辺の学者たちによって守られてきた原発の事故という案件であっても、引き起こした側の刑事責任追及を求める声が起きるのは何ら不思議ではない。

原子力関連法規はもとより、業務上過失致死傷のほか、刑法には過失激発物破裂罪、ガス等の漏出罪、往来妨害罪、過失往来危険罪、水道汚染罪、浄水毒物等混入罪といった規定もある。

被害結果認定や条文によっては「故意犯」に限定されているなど、実際の「立件」は確かに困難だ。だが「巨悪を眠らせない」をモットーに、国民の怒りをくみ上げてきたはずの地検特捜部はどうしているのだろう。

仏教者として原発事故の被害や問題点を寺の「通信」で訴え続ける福島の住職は、「なぜ1人も『逮捕』されないのか?」との見出しで、東京電力や原子力安全・保安院、政府関係者の刑事告発について研究者や法律家が編集した本を紹介している。

裁く際に加味される「情状」はどうか。被害者への賠償は決定的に不十分、原因解明や炉と放射性廃棄物という根源の除去もめどを立てられない。あろうことか、電力料金値上げや再稼働を推し進める。「想定外」が過失の要件である「予見可能性」を回避するための言い逃れなら、あまりに姑息としか言いようがない。

被災地では住民の惨状に接して「慈悲の怒り」を表明し、電力業界や政府を告発する宗教者の訴えを多く聞いた。その逆の「誰かを悪者にするより生き方の転換を」という論議は生存を脅かされている地元の人々にどう聞こえるか。「善悪」はともかく、責任を問われるべき関係者は必ずいる。

事故による強制避難の途中に落命した病院入院患者は相当数に及び、被害を苦にして自殺した人も多い。声なき人々の嘆き、怒りを決して甘く見てはならない。