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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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がんになって分かる 喫煙がもたらす百害

2012年6月9日付 中外日報(社説)

習慣的に喫煙している日本人はほぼ5人に1人、男性だけだと3人に1人という(昨年、厚労省調査)。毎年減少し、喫煙率の低い欧米先進国の水準に追い付いたそうだ。だが、公共の場での禁煙は海外に比べ大いに遅れている――そんな記事が5月31日の「世界禁煙デー」の新聞に載っていた。

受動喫煙を含め健康被害を生じるたばこは、人の幸福に寄与しているだろうか。多分に心の要素も絡む喫煙の問題に、宗教的なメッセージがあまり聞こえてこない。思えば奇妙なことである。

よく知られているように、たばこは15世紀末、コロンブスの新大陸渡航以降、西欧に持ち込まれて広がった。アメリカ大陸の先住民によって用いられていたものである。仏教では初期の仏典に喫煙に関する戒律が出てこないのは当然であり、鎌倉仏教の時代にもまだ、たばこはなかった。日本に伝わってきたのは16世紀半ば以後のことである。

仏教の「不飲酒戒」は、飲酒が修行の妨げになり、深酒によって過ちを犯し、他人に迷惑を掛けるためとされる。しかし、在家信者に厳格な励行は難しく、今は出家者も含め節度をわきまえた飲酒はむしろ常識的でさえある。これに対し、喫煙はまさに「百害あり」で、無関係な人々に害を及ぼす点でも仏教とは相いれないものだろう。釈尊に尋ねたら言下に「ノー」と戒められたのではないか。

たばこにこだわるようだが、実は長く喫煙を続けてきた筆者は過日、食道がんと診断された。主治医に「原因は明確。たばこと酒」と言い渡され、何かで頭を「ガーン」と殴られた気分だった。幸い早期発見で、内視鏡による内科的施術で事なきを得たが、喫煙によるがんのリスクを人ごととして聞き流していたのは思い上がりだったと、心底から気付かされた。

家族はじめ周りの人々を心配させ、喫煙のルールは守ったつもりだが、副流煙の害をまき散らせていたのでは、など反省しきりである。喫煙の健康被害を「自己責任」と強弁し、規制の強化を「魔女狩り」などとうそぶいていたことが恥ずかしくなる。

喫煙は個人の嗜好の問題とはいえ、ストレスとも関係が深いようだ。各地の病院に禁煙外来が置かれているのは喫煙習慣克服の難しさの表れだろう。心の領域からの対処法が必要なように思う。その点に関し、宗教施設に喫煙コーナーが置かれているのをよく見かけるが、今になってみると疑問が湧く。参拝者への「サービス」だろうが、それで済むことだろうか。