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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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遠近法を疑う視点 思いは距離を越え

2012年6月12日付 中外日報(社説)

東京スカイツリーの人気が沸騰している。「鳥の視点」からの素晴らしい眺望が話題だが、立地する下町では「影」の部分も見えている。周辺の再開発に関連して、公園や河川敷で野宿するホームレスの人々の小屋などを行政が撤去する動きが進む。機動隊まで動員され、開業前には支援の市民グループが「貧乏人を殺すな」とのむしろ旗を押し立ててツリーを包囲するデモを繰り広げた。

超高層ビルの東京都庁。遠く富士山まで一望できる展望ロビーは見物客も多く、売店には「絆」の名のついた土産が並ぶ。だが、大震災を「天罰」と言い放ち、今は「復興五輪」などとご都合を言い募るトップがいる棟は、かばんの中までチェックされる厳重警備。地上に降りると、前の「ふれあい通り」には監視カメラが並び、公園では青いシートのテントやベンチで寝ている人が目に入る。

視点の在りかはものの見方を変えることがある。登山家は大自然の力を実感し、どこにも国境がない青い地球を見た宇宙飛行士は「神の視点」を獲得したという。

大阪では、100周年を迎えた通天閣が、雑然とした喧騒の下町にそびえる。展望台からは遠くのオフィス街も高層マンションも眼下の街並みも均質に見える。だが足元を歩くと、バブル経済崩壊で廃業した遊園地や寂れかけた商店街、そして「西日本最大の寄せ場」と呼ばれる日雇い労働者の街・釜ケ崎が広がる。

しゃれたスカイツリーや東京タワーと違うのは、地上の人々が通天閣を泥くさい庶民の街の象徴として下から仰ぎ見続けたことだ。「王将」の阪田三吉をはじめ、この街で生きた多くの人物が数々の文学作品にも登場する。

遠近法は近代絵画の単なる一技法にすぎない。キュービスムなど他の諸流派、日本古来の絵巻物を見てもそれは理解できる。

人間の精神の「眼」は、遠くのものを必ずしも小さく捉えるわけではなく、意識の到達の程度でその大きさが決定されるのだ。空間的距離だけでなく、時間や関係性もしかりなのは、「遠くの親戚より近くの他人」でも分かる。

被災地や「苦の現場」への関わりも同じことだ。距離や年月を隔てても、東日本大震災の東北、全国各地の困難の現場、国内の、そしてアジア・中東・アフリカの苦難の地へ、心を寄せる思いが減ぜられてはならないだろう。

それを、「観自在菩薩」のように見通し、そこここに寄り添う宗教者がいる。例えば仏教は「正見」という視点の在り方を説く。