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「命尊し」の心広まれ ポツダムの碑2周年

2012年6月21日付 中外日報(社説)

「広島市民が8月6日、長崎市民が同9日の被爆の日を忘れないように、ドイツのポツダム市民は7月25日を記憶に刻んでいます」と語るのは、原水爆禁止広島県協議会の金子哲夫常任理事である。ドイツ降伏後の1945年7月、米英ソの連合国3首脳がここに集まり「ポツダム会談」を開いた。会期半ばの7月25日、トルーマン米大統領が、この地から日本への原爆投下を命じた。

旧制中学4年生の時に広島で被爆し、戦後ドイツに渡航してベルリン工科大教授となった外林秀人氏が、被爆体験の証言を始めたのは、2005(平成17)年である。体験をドイツ語で語れる被爆者はほとんどいない。それだけに外林氏の体験談は、ドイツの人々に鮮烈な印象を与えた。

原発事故のチェルノブイリと地続きのドイツは、核問題への関心がひときわ高い。05年8月、ポツダム市は平和市長会議(現会長は松井一實・広島市長)に加盟し、12月にはポツダム市議会が、トルーマンの宿舎跡に近い広場を「ヒロシマ広場」と名付けることを決議した。市民有志が、広場に記念碑を建設するための「ヒロシマ広場をつくる会」を組織し、募金を始めた。広島では被爆者の佐々木愛子さんが支援組織をつくり、日本国内で浄財を集めた。

その佐々木さんが08年、病気で急逝した。後任が見つからない。同じマンションに住んでいた縁から、社民党広島県連代表で元衆議院議員の金子氏を推す声が出た。「政党人が市民運動に関わるべきでない」と固辞したが、他に適任者がいなかった。

記念碑は、外林氏と親しく、欧州で活躍中の石彫家、藤原信氏が制作することになり、ノルウェー産の石が選ばれた。金子氏は提案した。「記念碑に、広島と長崎の被爆石をはめ込んでほしい」。一時帰国した外林氏と相談、広島からは広島電鉄の路面電車の敷石、長崎からは一本足鳥居で知られる山王神社境内の石が選ばれた。両市の石を組み合わせた碑は初めてだと金子氏は言う。

こうしてポツダムの記念碑は、2010(平成22)年7月25日、除幕式を挙げた。広島から出席した金子氏に外林氏は「証言活動をする私の心の支えができた」と語った。だが外林氏はその後体調を崩し、翌2011年12月28日に亡くなった。82歳だった。

金子氏は言う。「私の信条と響き合う『命尊し』の心を、外林先生から頂きました」。記念碑完成から間もなく2年。命尊しの心が世界に広がることを期待したい。