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神道の節目の年は未来志向の立場で

2012年7月28日付 中外日報(社説)

今年は神道関連で幾つかの節目を迎えた。最も目立っているのは「古事記1300年」である。

太安萬侶が古事記を撰上したのが和銅5(712)年とされているので、それから数えて今年が1300年となる。雑誌などでさまざまな特集が目につく。

これとは年数が1桁違うが、神宮皇學館と皇典講究所が、明治15(1882)年に設立されてから、今年が130年に当たる。神宮皇學館は皇學館大、そして皇典講究所は國學院大の前身である。

この年はまた神道教派の七つの派が一派特立をした年でもある。戦前に教派は最終的に13派が認められたが、この年に最も多く公認された。そこでこれを祝う記念行事が6月5日、神道教派6派が中心になって行われた。

扶桑教の初代管長宍野半は、皇典講究所の創設にも関わりを持ったこともあって、國學院大が共催し、会場となった。主催した6派は出雲大社教、御嶽教、実行教、神習教、神道大成教、扶桑教である。明治15年には神宮教も一派特立したのだが、同32年に財団法人神宮奉斎会になったので、以後神道教派と見なされなくなった。

記念行事の一環として行われた公開シンポジウムは「21世紀の教派神道―130年を踏みしめて」がテーマであった。過去を振り返る回顧的なものではなく、これからの教派神道の在り方を考えるという前向きな姿勢を打ち出したと言える。

シンポジウムでは神習教教主と御嶽教の管長がこれからの活動についての抱負を述べた。それぞれ人生儀礼、および山岳信仰の持つ意義について語り、具体的な実践への構想などについて展望を示した。

日本の宗教行政は、戦前と戦後で大きく変わった。教派神道と呼ばれてきた教団の社会的機能も大きく変化している。戦前はいわば公認された教団であった。神社は布教が認められていなかったし、新宗教は活動の制約が大きかった。その点では神道教派は、独自の立場を有していた。

しかし、戦後の宗教法人法で、神社は他の宗教法人と同列になり、新宗教が数多く宗教法人格を持った。教派神道という用語は存在しても、行政上は独自の存在ではなくなっている。こうした変化をどう考えるかが目下の大きな課題である。

戦前への回帰を志向せず、21世紀の在り方を目指した点に未来志向がシンポジウムからうかがえたが、その具体的展開に今後注目したい。