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後退する「原発ゼロ」 核抑止力論の呪縛か

2012年10月2日付 中外日報(社説)

政府は2030年代に原発ゼロを目指すエネルギー戦略を決めたが、閣議決定を避け、画餅に帰しかねない。その主な要因は米国の圧力だったらしい。原子力利用は原子力基本法で「民主」「自主」「公開」が大原則だ。だが、福島第1原発の事故後も「民主」「公開」の改善は不十分で「自主」も幻想にすぎなかったようだ。3原則は骨抜きのまま原発依存へと逆戻りする恐れを感じさせる。

政府が9月に決めたエネルギー戦略は国民の大多数の願望によるものだ。ところが東京新聞(9月22日付1面トップ)によると、米国は政府の戦略を閣議決定すると今後の政策を縛ると懸念。日本の核技術の衰退は米国の原子力産業にも悪影響を与え、再処理施設を稼働し続けたまま原発ゼロになると日本はプルトニウムを蓄積、軍事転用が可能な状況になるとして再三米側の「国益」に反すると強調した。原発ゼロは日本の経済界や立地自治体も反発するが、結果的に野田政権は米国の「圧力」に屈したと同紙は論評する。

全国紙も米国の要求は知っていたようだが、なぜか東京新聞が報道するまではほとんど触れなかった。不可解なことである。

米国は1979年のスリーマイル島事故以来、原発を新設しなかった。識者によると、この間日本は米国の原発関連企業の買収などで原子力産業主力国の一翼を担い「日米原子力共同体」ともいえる構造が生まれた。例えば室蘭の製鋼所は世界の原子炉圧力容器分野で8割のシェアを占め、日本の原子力産業抜きに米国の原子力産業は動かないそうだ(岩波書店『世界』6月号)。その米国は今年2月に原発の新設を認可し「原子力ルネッサンス」へ踏み出した。

日本は米国の核抑止力に依存し中国との対立激化に伴い、同様に中国の進出を警戒する米国頼みに一層傾斜する気配である。つまり「核」と原発の両面で米国の世界戦略から逃れられない図式になってしまっている。これでは被爆体験や「地震大国」など日本固有の事情もかすんでしまう。先に全国紙の報道を不可解と言ったが、そんな事情もあるからだ。

この状況下、倫理的な側面から脱原発依存を願う立場で何ができるだろうか。そもそも米国の「核の傘」の下にいる限り「脱原発」は矛盾するという指摘が根強くある。原子力に依存しない社会は、核抑止力の呪縛の返上から始めないと不可能だろう。そこに至るだけでも難問山積だが、それを克服する努力がないと言葉だけの脱原発依存に終わってしまう。