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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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教団が提供するもの 社会から求めるもの

2012年10月16日付 中外日報(社説)

宗教教団は個々人に悟りや救いの道を示し、家族や共同体のよき生活の支えを提供するはずのものと考えられている。それだけで十分な役割を果たしているではないかと言いたい気持ちもある。だが、世間から見ると、それは仲間内だけの利益を図る集団エゴイズムのように現れる。実際、強引な布教や資金集めを行い、霊感商法等の犯罪行為によって市民に害悪を及ぼすような悪例もある。そこで信徒仲間のためだけの集団なのかという問い掛けも生じてくる。

一方、社会貢献というようなことは宗教にとって本来的な問題ではないと考える人もいる。東日本大震災では、被災地にあった宗教施設を信徒のみの用に提供し、一般市民に開放しなかった団体もある。支援活動をするとしても教団所属の人々だけを対象とした団体もある。所属信徒の世話だけで手いっぱいで、なかなか余力がないということだろう。中には今こそ布教のチャンスだと心得て、教団勢力の拡張活動に精を出した所もあった。宗教というのはそのように仲間を増やすことが本来的な性格だと考える人々も少なくない。

ここで大きな社会の側に視点を移して考えよう。災害支援だけではない。現代日本社会が抱える困難は数え上げればきりがないが、その中に宗教によってこそ解決の道が見いだされるはずのものは多い。いじめや自殺は長期にわたる難問だが、若者や子どもにいのちの尊厳や思いやりの心の大切さが伝わっていないということだろう。学校教育、家庭教育、社会教育、さまざまな領域があるが、それぞれにおいて宗教的な背景を持ったいのちへの畏敬の念や他者尊重の倫理性・社会性が養われてほしいと考える人は多い。

震災であらわになったが、死者を送り偲ぶ際に宗教的儀礼は欠かせない。死を身近に感じている人にも宗教を背景に持つ精神的なケアが必要だ。終末期のスピリチュアルケアやグリーフケアの必要が唱えられる背景にはそのような事情がある。医療の現場にいる人々は、宗教を通して受け継がれてきたような「いのち」尊重の考え方を通してケアや倫理の問題を考えなくてはならないと感じている。

科学技術が進み、さらに便利で安全で豊かになるようだが、ますます環境破壊や「金やモノ」中心の社会に向かっているようにも見える。そうした社会は宗教の助けを求めてもいる。これに応じる姿勢を持つ教団は、社会参加を通して信頼感を高め、直接の支持者との宗教的交わりをもいっそう充実させていけるはずである。