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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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「忘れないでほしい」訴えに含まれる意味

2013年3月26日付 中外日報(社説)

東日本大震災から2年目の日(三回忌)を過ぎ、国民の気持ちはいよいよ「復興」へと向かっているようにも見える。だが、多くの被災者が「忘れないでほしい」と訴えていることの意味は重く受け止めたい。

「忘れない」ということの重要性を早く述べていたのは作家の村上春樹だ。村上は2011年6月10日、カタルーニャ国際賞受賞記念スピーチでこう述べていた。

「今回の大地震で、ほぼ全ての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に慣れているわれわれでさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています」

この作家はそのころ、早くも「復興」の声が支配的になる時期のことを予想していた。「でも結局のところ、われわれは精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません」

「復興」はもちろん応援したい。だが、それだけでは十分ではない。同時に過ぎ去るに任せてはいけないものに心を留めようと村上は述べていた。「ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それは例えば倫理であり、例えば規範です。それらは形を持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば簡単に元通りにはできません」

そして村上は原爆死没者慰霊碑の次の言葉に注意を促す。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」

福島原発災害は忘れてはならないはずの大きな過ちを犯してきたことをあらわにするものだった。その過ちは倫理的なものだと村上は述べている。「われわれが一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?」「理由は簡単です。『効率』です」。ひたすら「効率」を追求することによって失ってしまったものがある。

今年に入って、日本社会はまた元のような「効率」最優先の社会に帰っていくようだ。経済発展優位の政策と歩調を合わせるものと理解される「復興」は、まさに「効率」を最優先するものになるだろう。それでよいのか。「忘れないでほしい」との被災者の声には、そのような問い掛けが含まれている。宗教の出番ではないだろうか。宗教的なものに支えられた倫理、「いのちの尊さ」に基礎を置く倫理はどのように応答するのだろうか。