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宗教界を模範とした選挙制度のはずだが

2013年3月28日付 中外日報(社説)

「人民の、人民による、人民のための政治」とは、米大統領リンカーンの言葉だが、日本の国会制度は「議員の、議員による、議員のため」と化していないかと感じることがある。1票の格差は是正しなければならない。しかし議員定数の減る県では、現職議員の既得権に影響することになる。党利党略も絡んで、実行には困難が伴いがちだ。

格差是正をしないままの選挙が違憲、または違憲状態であるとの判決は何度も繰り返された。しかし政治家は、柳に風と受け流していたのではないか。

広島高裁で、憲政史上初の「選挙無効」判決が出されたのは、広島市を中心とする広島1区と同2区についてだが、この地域の有権者は中選挙区制時代にも1票の軽さに満たされぬ思いを抱いたことがある。当時の広島県は3選挙区に分かれていたが、広島市とその周辺の1区の定数は3で、呉市中心の2区の4、福山市中心の3区の5より少なかった。

原爆で人口が激減した当時の区割りが、長期間にわたり改められなかった。その広島地方での選挙が、無効判決第1号を引き出したことに、感銘を覚える人もいるだろう。

日本の議会制度は、明治14(1881)年に浄土真宗本願寺派が定めた宗会制度を模範としたものだ。西本願寺21世の明如宗主が、幕藩時代の体制では新時代の教化はできないとして、宗派の運営を全国寺院の代表の合議で決めることにした。その宗会制に、政府幹部が注目した。

明治維新や西南戦争の余波で、不安な政情が続いていた。その社会に議会制度が根付くかどうかを全国規模の宗派である本願寺派宗会をモデルケースとして見極めようとしたとの見方もある。その結果、9年後の明治23年に帝国議会発足の運びとなった。当時の日本の政治家は仏教界をお手本としたわけだが、学んだのは外面の制度だけで、内面の「心の在り方」を見逃していなかっただろうか。

広島高裁に続いて、同高裁岡山支部でも同趣旨の判断をした。この両判決を「画期的」とみる声があるが、それに関して想起することがある。戦後の労働争議訴訟で、労組に有利な「画期的」判決を示した判事がいた。将来を嘱望されていたが、判決後は不遇のまま定年を迎えた。大阪府内の自宅を訪ねた筆者に、元判事は語った。「あの物証では、あの判決しか出せません。私は、あの判決をしたことを今でも誇りに思っています」と。