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天子だけが目にした神秘的な「讖緯」の書

2013年5月21日付 中外日報(社説)

『隋書』の経籍志は隋の時代までに著された書物を経史子集の4部の分類のもとに収める図書目録である。儒教経典関係の書物が経部に、歴史書が史部に、さまざまの思想書が子部に、文学の書物が集部に分類され、さらに4部それぞれに子目の「類」が設けられて簡単な解説の小序が付されているのだが、経部の子目の一つである讖緯類の小序に次の記事がある。

――劉宋の大明年間(457~464)に至って初めて讖緯の書は禁止され、梁の天監年間(502~519)以後、禁制はさらに厳重となった――

讖緯とは「讖記」と「緯書」の総称。預言記の類が讖記であり、また「経」は縦糸、「緯」は横糸を意味するように経書を補完するものとされるのが緯書なのだが、やはり謎めいた言葉でつづられている書物で、作者も制作年代も定かではない。讖緯の書は、その神秘的な性格の故に往々にして反乱を計画する徒輩に利用され、王朝はその禁絶に神経質とならざるを得なかったのである。

右に引いた記事に関連して、讖緯関係の記事を博捜する清朝の蔣清翊の『緯学源流興廃考』にも、また興膳宏氏と川合康三氏共著の『隋書経籍志詳攷』(汲古書院)にも言及がないのだが、劉昭の「後漢書注補志序」に次のようにあるのは梁代の禁制に関わる明証としてよいであろう。劉昭は6世紀梁の人。劉宋の范曄の『後漢書』が制度や文物について述べる「志」の部分を欠いているため西晋の司馬彪の『続漢書』の「志」をもって補い、注釈を施すに当たって添えられた序文である。

――星占いや讖緯などの神秘思想に関する事柄も明らかにする必要があるが、よく分からぬ点は欠いたままにしておく。時として何か目にとまるものがあれば、いささか参考にはするけれども、正部の書を見ているわけではないので、(私の注釈は)詳密というには程遠い。今や禁令が行われてこれらの書物は世間から跡を絶っているのだから、疎漏があったとて非難されることはあるまい――

劉昭が「正部の書」と言っているものの手掛かりは、梁の天監4(505)年に「文徳正御四部及術数書目録」が編まれたと伝えられていることだ(阮孝緒「七録序」)。文徳とは宮城内の文徳殿、正御とは天子の用に供すること。劉昭は文徳殿所蔵の「正御四部」の書物を「正部の書」と呼んでいるのではあるまいか。讖緯関係の書物は全て文徳殿にしまい込まれ、天子以外の者は目にすることができなかったのであろう。