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児童と話す時間なく多忙に追われる教師

2013年6月6日付 中外日報(社説)

「マイカー先生」という言葉のはやった時期がある。昭和40年前後、自家用車がまだ珍しいころだった。授業が終わると一部の教師がマイカーで校門を出て、家庭教師のアルバイトをする。その風潮を批判する言葉だった。言い換えると、当時の学校にはヒマが多かったということだ。

だが今の学校は、様変わりしている。先日の毎日新聞に、埼玉県の元教師の投稿が出ていた。自分たちの時代も多忙だったが、今の教師はもっと多忙で、放課後、子どもと向き合うことができない。全ての人が、教育現場の「多忙」さに思いを寄せてほしい、という内容だった。

投書欄と向き合うページに、教育大学の特任教授との一問一答が掲載されていた。「今の先生は大変です。週5日間フル稼働で、夜の9時ごろまで学校にいるのは普通。保護者も平気で、夜遅く職員室に電話してくる……」

大阪府の元小学校長から聞いたことがある。「教育委員会から通達、通達。教育委員会へ報告、報告。そのために放課後は連日、職員会議です。私は在任中、せめて週1日は職員会議のない日をつくって、放課後に担任が児童と触れ合えるようにしたいと思ったが、実現できませんでした」

同紙の記事に呼応するかのように、別の新聞が、ある県の市教委の改革を紹介していた。以前は国や県から下りてくる文書処理に追われ、市教委の事務局も現場の教師も前例踏襲で身動きがとれなかった。思い切って文書を減らし、校長の裁量権を広げた。そのために、通達や報告の量が激減したというのだ。

大津市の中学校での「いじめ」自殺を契機に、教委の在り方が論議され、教育長の権限強化を中心に改革が進められている。だが制度を変えても、教師を「多忙」さから解放しないと、効果は上がらないのではないか。

パーキンソンの法則には「役人は組織の肥大を求め、仕事のための仕事を作りたがる傾向がある」との指摘があったと記憶する。

前記の一問一答で、特任教授はこうも言っている。「(先生と子どもの対話の機会がないと)強い子と弱い子の勢力図がはっきりしてしまいます。(いじめは)先生が介在していれば起こりえない現象です」

公立校と私学とでは設置目的や性格に違いがあるが、教育の場であることは同じ。教師と児童の触れ合いに関しては、私学、特に宗門校がモデルケースとなってもよいのではないだろうか。