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鳩摩羅什と僧肇の殺害説を伝える書

2013年7月20日付 中外日報(社説)

中国の仏教史上に輝かしい足跡を残した鳩摩羅什。その羅什の一番弟子の僧肇。羅什が後秦王朝の君主の姚興によって長安に迎えられると、僧肇は師匠の訳経の仕事の手助けをし、西暦414年に31歳をもって亡くなったと『高僧伝』は伝えている。

『高僧伝』はただそのように伝えているだけだ。ところが禅録の『景徳伝灯録』では、僧肇は実は姚興によって殺害されたのだとされている。巻27「諸方雑挙徴拈代別語」章の記事だ。

僧肇法師は秦主(姚興)の難に遭い、刑に就くに臨んで偈を説きて曰わく、四大は元より主無く、五陰は本来空、頭を将って白刃に臨むも、猶お春風を斬るに似たり。

「四大」とは肉体を構成するとされる地大、水大、火大、風大の四元素。「五陰」とは人間を人間たらしめる五つの根拠。すなわち色(物質)、受(感覚)、想(想念)、行(意志)、識(認識作用)。

四大にはもとより主宰はなく、五陰は本来空、刑戮されようとも春風を斬るのと何ら変わりはないというわけだ。その上で、『伝灯録』には、この僧肇の偈に対する玄沙和尚の次のような辛辣なコメントが添えられている。

「肇法師ともあろうものが、臨終に際してまだ寝言を言っておる」

それだけではない。最近一読した陳楠氏の「鳩摩羅什生平事迹新証――漢語とチベット語文献記載の比較研究――」(『世界宗教研究』2013年二期)によって、チベット語文献の中には驚くべきことに、僧肇のみならず、羅什までもが無残な最期を遂げたと伝えるものがあることを知った。

それによると、姚興は僧肇をことのほか敬愛し、そのために王妃は寵愛を失う。王妃は一計を案じ、僧肇が自分の靴を盗んだようにたくらみ、その靴が羅什の座布団の下から発見される。このことが羅什と僧肇の死を招く発端となった。

かくして陳氏は、羅什僧団が姚興の礼遇と尊崇を受けたことが王妃と朝臣たちの不満を招き、両者が手を結んだ結果、羅什と僧肇の2人が殺害される惨劇を生むこととなったのだと言っている。

陳氏が用いているチベット語文献は『紅史』と『漢蔵史籍』。前者は1363年の成書、後者の成書はさらに71年遅れるという。これらが伝えるところは、『伝灯録』の所伝を膨らませただけのものなのかどうなのか、大いに気に掛かるところである。