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怨みに報いるに徳を以てした比国大統領

2013年8月10日付 中外日報(社説)

先の大戦終了後、フィリピンの軍事法廷で裁かれた旧日本軍BC級戦犯151人の物語は、真言宗僧侶の教誨師・加賀尾秀忍氏の助命活動や歌謡曲「あゝモンテンルパの夜は更けて」の流行など数々の人間ドラマに彩られている。死刑判決を受けた79人のうち刑を執行された17人を除く受刑者全員が昭和28年末までに恩赦で釈放された。フィリピン国民の日本人への憎しみが沸騰する中、キリノ大統領が恩赦を決断した。

永井均著『フィリピンBC級戦犯裁判』(講談社選書)によれば、大統領自身も妻子4人を日本軍に殺害されていた。だが、日比両国民の友好を閉ざさないためには公私に及ぶ憎悪の連鎖を断ち切らねばならない、そう決意して恩赦に踏み切ったという。苦悩の選択だったわけだが、「赦し難き」を赦された結果、日本も戦争犠牲者への責任を自らに問う深い自省と倫理性を求められた。そのことを忘れてはなるまい。

この戦争で日本兵約50万人が戦死、フィリピン国民の犠牲は110万人以上に上ったとされる。うち日本軍による住民の殺害事件が全土で300件以上報告され数百、数千人の大量虐殺が少なくなかった。特に戦争末期のマニラ戦は米軍との激戦下、市民10万人以上が犠牲になったという。日本軍の蛮行が惨を極めたのは、住民の抗日運動を宗主国米国への忠誠心と勘繰った一面もあったようだ。戦後、フィリピン社会の対日感情は最悪で、日本人に対する怨みと報復心が渦巻いていた。

フィリピンの対日戦犯裁判は戦後独立した国による唯一の例で、主に住民の殺害、虐待や強姦などの罪を対象にした。死刑判決が5割を超え、他の連合国裁判の2割程度と比べ高かったのは国民感情の反映だろう。だが、死刑執行率は他国の4分の1ほどだった。

裁判には冤罪が疑われる事例もあり、恩赦には日本との賠償交渉や東西冷戦が影響したともいわれた。とはいえ「四海同胞」のアジア的思考から日本への憎悪を子孫に残したくないというキリノ大統領の意志は固かったという。恩赦は和解への起点を築き、日本の新聞は「怨みに報いるに徳を以てした大統領」と報じたほどだ。

この歴史の経験は、一人の政治家の判断で未来が開かれる可能性を暗示する。戦後68年目の夏、日本はかつて侵略した東アジア諸国の間で孤立し、政権首脳陣の歴史認識を欠く近視眼的な発言で対立は深まるばかりである。だが、心象風景は荒涼としていても希望を捨て去るわけにはいくまい。