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人間の本性と天道を語らない儒教の経典

2013年12月3日付 中外日報(社説)

『論語』の公冶長篇に孔子の弟子の子貢の次の言葉が記録されている。「夫子の性と天道とを言うは得て聞く可からざるなり」。孔子先生が「性」すなわち人間の本性、また「天道」すなわち宇宙の法則について語られるのを耳にすることはできない、というのだ。ところが後世、このことが儒教にとってのアキレス腱となったのである。

1世紀のこと、讖記すなわち神秘的な言辞に富む未来記が大いに流行し、後漢の初代皇帝の光武帝もその熱心な信奉者となった。その時、桓譚なる人物は帝をいさめてこのように述べた。

「先王の記述する所を観るに、咸な仁義正道を以て本と為し、奇怪虚誕の事(奇々怪々な作り事)有るに非ず。蓋し天道と性命とは聖人の言うを難る所なり。子貢自り以下すら得て聞かず。況んや後世の浅儒(つまらぬ学者)能く之に通ぜんや。今、諸々の巧慧小才伎数の人(小ざかしい浅知恵の術数家)、図書を増益して矯って讖記と称す……」

図書とは河図洛書の略。太古の世、黄河から竜馬が、洛水から神亀が浮かび出、それらの背にそれぞれ神秘の図形と文字が描かれていた。それが河図洛書であって、そのような河図洛書に尾ひれを付けてでっち上げられたのが讖記なのだというのである。ともかく桓譚の考えるところ、性と天道について黙して語らぬ儒教経典に対する不満こそが讖記が盛んに制作され流行するゆえんであった。

そして3世紀の三国魏の荀粲は、やはり『論語』の子貢の言葉を理由として、もし孔子が性と天道について語らなかったのであれば、儒教経典は糠(ぬかかす)か秕(しいな。殻だけで実が入っていない穀物)のように取るにも足りぬものだと考え、老荘の道家の哲学に深く魅了されたのである。

さらにまた5世紀の劉宋の范泰と謝霊運はいつも口癖のようにこう語ったという。「六経の典文は本より俗を済いて治を為すに在り。必ず霊性の真奥を求めんには、豈に仏経を指南と為さざるを得んや」。儒教の古典である六経は本来そもそも世俗を救済するための政治教学を説くことに主眼があるのであって、人間の霊妙な心の本質はどのようなものなのか、そのことを探究するためには、ぜひとも仏教経典を指南とたのまなければならない、というのである。

范泰と謝霊運の2人がこのように考えたのも、やはり『論語』が伝える子貢の言葉に基づいてのことであったのに違いない。