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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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被爆科学者の遺志を全宗教界が継ぐ年に

2014年1月7日付 中外日報(社説)

1952年の日本学術会議総会で、一部の物理学者から、原子力平和利用研究を積極化すべきだとの意見が出された。具体的には、原子力平和利用調査委員会の設置を政府に勧告しようとの提案である。当時の政界では保守・革新を問わず原子力発電推進論が高まっていた。

敗戦後、連合国軍の占領下にあった日本では、原子力の研究が制限されていた。学界には、このままでは世界の潮流から取り残されるとの焦りがあった。

この提唱に、待ったをかけた学者がいた。広島大理論物理学研究所所長の三村剛昂教授(故人)である。45年、爆心から1・5キロの研究所で被爆、市民の惨禍をまざまざと見た。自らも重傷、世界ただ1人の"被爆体験を持つ原子物理学者"だった。

総会の席上で三村氏は、自身の被爆体験をもとに"声涙ともに下る"発言をした。「原子力の平和利用は、原爆製造に直結する。日本は広島・長崎の"教訓"に学ぶべきだ。米ソの対立が解けるまでは、日本は原子力の研究をしてはならない」

現在、三村氏の名を知る人は少ないが、戦前の学界で三村氏は、核物理学研究の分野では旗頭の一人だった。優秀な数学者を集めて34年、広島大の前身の広島文理大に学界初の理論物理学研究所を設立し、「波動幾何学」という新理論で原子核内の素粒子の動きを解明しようとした。三村学説を足場に精進を重ねた後進学者の中から、ノーベル賞の湯川秀樹氏、朝永振一郎氏らが出た。

日本学術会議は、戦争への協力を反省する学者たちの総意に基づいて発足した組織である。思想的に革新派ではない三村氏から出された願いは総会を動かし、やみくもに研究を進めてはならないとの意見がまとまった。そして「公開・民主・自主」という原子力研究の三原則が確立された。

それから62年。日本は核武装をしない大国として発展してきた。しかし今、新たな岐路に立っている。原子力の平和利用である原発もまた、市民に被害をもたらすことが明らかになった。いったんは全原発の廃炉の方向も見えたのに、再稼働への動きが高まっている。使用済み核燃料の処理方針は決まらぬままである。

現在の学界は必ずしも一枚岩ではない。第二の三村発言が期待できないなら、宗教界がこれに代わるべきではないだろうか。2014年は多くの宗教者から出ている核問題への提唱を、さらに広く強く盛り上げる年としたい。