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混乱する教育現場 宗門校の存在示せ

2014年1月28日付 中外日報(社説)

今年も1月18、19の両日に大学入試センター試験が実施され、約40万人の受験生が志望校入学の第一関門に挑んだ。

1982年度から高校で実施された数学および理科の「ゆとり教育」が、今年度で終了(他科目は明年度)するため、「どうしても今回、合格しなければ」と悲壮な覚悟で試験に臨んだ現役生も少なくなかったという。

例えば「ゆとり教育」では、生物の授業で受精卵からオタマジャクシ、そしてカエルへの成長の過程を学べばよかったが、今の高校2年生以下は生き物の成長の過程に遺伝子が及ぼす影響などについても学んでいる。

来年度以降の試験からは、「ゆとり教育」では教えられなかった範囲からも出題されることになり、そのことが現役生の受験生らにはプレッシャーとして重くのしかかっているのである。

受験生はあくまでも試される側で、教育や入試の制度は試す側の論理に基づいて設計される。だから、試す側には、どのような人材を育成しようとするのか、確固たる理念が求められる。

それがなければ朝令暮改のように入試制度や教育方針が変更され、いたずらに受験生を混乱させるだけである。

知識重視型の教育を詰め込み教育と批判し、学習時間と内容を減らし、経験重視型の教育方針でゆとりのある学校を目指した「ゆとり教育」だが、学力低下を招いたなどとの批判もあり、2008年には「脱ゆとり教育」とも呼ばれる学習指導要領の改訂が行われた。

ただ、「脱ゆとり教育」についても、うまく対応できなければ授業についていけない児童・生徒が増えるのではないかとの懸念もあり、現状では日本の教育が抱えている諸問題を抜本的に解決する道筋は見えない。

このように教育の現場が混乱する中で、独自の建学の精神に基づく教育を行う私学、特に宗教系の教育機関の果たすべき役割は重要である。

少子化で入学者の確保が困難になる厳しい環境下にあるという現実を無視することはできないが、それでもランキングや偏差値のみに目を奪われるのではなく、50年、100年先を見据えた"人づくり"に向き合うのが宗教の本分ではないか。

払った対価に対してすぐに応分のサービスの提供を求めるビジネスモデルが教育界にも浸透しつつある中で、今こそ宗門校がその存在感を示すべきである。