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6メートルの高さから流れ落ちる「法水」に打たれる神輿と奉仕者
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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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苦難を生きる命の姿 芸術による寄り添い

2014年3月4日付 中外日報(社説)

小さな子供の踊り手たちが、地表に見立てた黒い敷布を除染作業のように剥がすと、土の神が弱々しく横たわる。草木の精たちが手を打ち大地を踏み鳴らして励ます中で、神は身もだえしながらも立ち上がる。神戸で開かれた藤田佳代舞踊研究所のダンス公演「メッセージ」の群舞は圧巻だった。

フクシマの今を見つめ、放射性セシウムを吸着する菜の花の別名「はなな」と題した作舞や、「その声の傍らに」との寄り添いのメッセージが添えられた「言葉なき声が聞こえたら」の踊りなど、舞台は苦にもがく生にあふれた。

阪神・淡路大震災で自らも被災した藤田さんは、命をテーマに創作活動を続け、東日本大震災の被災地の子供らともダンスを通じて交流している。

災厄の苦難を前に、さまざまな芸術が生の輝きを追い求める。

京都佛立ミュージアムの「宮沢賢治と法華経」展では、賢治愛蔵のバイオリンによる音楽会が開かれた。弟の孫である宮沢和樹さんが賢治の芸術や宮沢家の逸話を語り、その娘・香帆さんが賢治作曲やゆかりの曲の数々を演奏した。

結びには、賛美歌「主よ御許に近づかん」が披露された。1912年の英豪華客船タイタニック号沈没事故の際、死の恐怖に慄く乗船客たちの心を和ませようと、沈みゆく船で専属楽師たちが弾いたという曲だ。最後まで演奏を続け、氷の海に沈んだバイオリニスト、ウォレス・ハートリーらの話は当時、日本にも伝えられた。

事故のニュースの1カ月後に、修学旅行で石巻から生まれて初めて船で海に出た中学生の賢治は、太平洋の荒波の怖さをリアルに書き残している。そして後に代表作『銀河鉄道の夜』で、この沈没事故のエピソードを登場させた。

賢治は法華経の教えを文学に表現したといわれる。「雨ニモマケズ」の詩の中で、「デクノボー」と呼ばれ、人々の苦の現場へ「行ッテ」寄り添う姿は、地から湧き出て衆生のために己を捨て働く菩薩そのもの。その姿勢は、足尾鉱毒事件で村民と共に権力と闘い、「聖書は谷中人民の身にあり」と記した田中正造とも共通し、宗教の枠を超えたいのちへのまなざしに根差す。

東日本大震災と福島第1原発事故の災厄から丸3年を迎え、いのちをうたう芸術が光を放つ。群舞は観衆の手拍子と一体になり、東北の大地と人々を鼓舞するかのような力をはらんでいた。賛美歌を奏でる美しい弦の調べは、苦難の大海原を越えて広がるレクイエムのように聞こえた。