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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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理性的な判断による教訓を風化させない

2014年3月13日付 中外日報(社説)

東日本大震災と福島原発事故から丸3年がたつが、慰霊等の行事と共に、この出来事の衝撃が風化していくことを憂える声もあちこちで聞かれるようになった。

衝撃的な出来事であっても、時と共に人々の記憶からは薄れていき、一人一人の心に与える影響も次第に弱いものになっていく。19年前の阪神・淡路大震災や、オウム真理教地下鉄サリン事件ともなれば、それが社会に与えた衝撃の風化は顕著である。

激しく心を揺さぶるような出来事によってもたらされた心の痛みが生涯続くのは、それを身をもって体験した人々である。身内や友人、親しい人を亡くしたり、自身が大きな損傷を負ったりすれば、忘れようとしても忘れられるものではあるまい。

当事者の痛みと、近隣の地域の人間あるいは同じ国の人間として感じた痛みは、同じ種類ではない。苦しみを分かち合う気持ちがいくら深くても、そこには限界がある。他人の痛みをまさにわが痛みと同様に感じ続けられる人は、まれにはいるかもしれない。だが、多くの人はそうではない。その意味での風化は避け難い。

しかし、社会的に風化させてはならないと肝に銘ずべきこともある。出来事の教訓として語られるような側面がそれに当たろう。それは同じ過ちを決して繰り返してはならない、という強い理性的な働きを伴うものである。

このような明確な理性を伴う心の力は10年、20年あるいはそれ以上の年数がたっても風化させずにおく工夫をすべきだ。

来年は敗戦から70年になる。日本人だけでもおおよそ300万人の命が失われた。この事実を前にしたとき、戦争の愚かさ、むごさは、それを体験した多くの人の胸に刻まれたに違いない。

ところが昨今、まるで隣国との戦争も辞さずというような勢いの言説も出始めている。戦争体験者はもう少数派である。しかし体験していなかったとしても、体験した人たちの話に慎重に耳を傾けるなら、戦争など断じて起こしてはならないというのが、理性を揺り動かす心の判断になるはずだ。

そうした類の判断をさせた理性の働き、心の働きを風化させないということも、悲惨な出来事で命を失ったり、心や体に深く傷を負った人たちに思いを致すことにつながる。そして、社会全体の悲惨な出来事や事件を体験した後、そこから得られた教訓が何であったかをじっくりと考え、人々に伝えるのも、間違いなく宗教家や研究者の果たすべき役割である。