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後味の悪い不祥事 方便ならぬ利己的なうそ

2014年5月23日付 中外日報(社説)

短編小説『最後の一葉』は小学校の国語の教科書にも掲載されている米国の小説家、オー・ヘンリーの代表作だ。

重い肺炎を患った女性画家がアパートの窓から見えるレンガ壁をはう、枯れかけたツタの葉が全て落ちる時に自らの命の灯も消えると思い込む。

ある夜、風雨にさらされたツタの葉は最後の一枚を残して全て落ちてしまう。そして、次の夜も激しい嵐となるが、翌朝、ツタの葉は壁にとどまっていた。

これを見た女性画家は生きる意欲を取り戻すが、最後に残った葉は階下の部屋に暮らす老画家が人生の最期に描いた傑作だったのだ。

うそにもいろいろある。『最後の一葉』のように人を助けるためならば許されるが、「シャワーを浴びさせてやる」と言って多くのユダヤ人をガス室に送り込んだナチスは人類史上に決して拭い去ることのできない傷痕を残した。

旅行会社「JTB中部」の30歳の男性社員が、高校の遠足のためのバス11台を事前に手配することを怠り、このミスを糊塗するために、自殺をほのめかす内容の生徒の手紙をでっち上げて学校に届け、遠足を中止させようとする事件が起こった。学校側は「生徒の命に関わる内容で容認できない」として手紙を地元の警察署に届け、この男性社員は偽計業務妨害罪の疑いで逮捕された。

「うそも方便」ということわざがある。「方便」とはもともとは仏教語であり、仏が衆生を教え導くための便宜的な方法という意味だ。『法華経譬喩品』の「三車火宅」に由来するとされる。

20歳を過ぎた大人で、これまでの人生で一度もうそをついたことはない、という人はおそらくいないだろう。大多数の人は、ある程度の言い訳や責任転嫁のためのうそを無意識のうちに口にしているが、今回のケースは明らかに意識的に自分の失敗を隠そうとしたものであり、人を救うための「方便」とは言い難い。

バブルがはじけて以来、日本の社会は良くも悪くも人に夢を与える「大きな物語」の時代は終わり、溢れ返る情報の洪水の中で人々は自らの存在を意義付ける価値観を見いだせず、「小さな物語」すら語れなくなっている。

STAP細胞論文の問題や「日本のベートーベン」といわれた佐村河内守氏のゴーストライター疑惑など後味の悪い話題が世間を騒がせているが、『最後の一葉』のような人の心を和ませる深い“物語”の紡ぎ方をいつからわれわれは忘れてしまったのだろうか。