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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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宗教は社会の隠し味 宗教者に問われる人間力

2014年9月10日付 中外日報(社説)

故山田恵諦・天台座主はある対談の中で、人間社会を支える鼎の3本柱として、政治と経済と宗教があると語った。国家の平和と人々の幸せは、この3本柱の上に乗っているという。3本柱のうち社会全体のバランスを取るのが政治だとすれば、そのためのエネルギーを供給するのが経済。そして、全ての人が恩恵に感謝し、報いるために奉仕の念をもってするのが宗教だというのである。

この役割分担論では、宗教が独特の位置を占めるところが面白い。宗教は、直接的に何かをするというよりもむしろ、人々が皆それに関わり、いわば縁の下の力持ちとして、感謝と奉仕の役割を果たすところのものなのである。

人々が宗教心を持ち、それぞれの信仰信念に支えられつつ、自らに与えられた務めを奉仕の精神で行うならば、それが社会における宗教の出番ともなろう。宗教とは、人間社会の豊かさを示す一種の“隠し味”なのかもしれない。また、いわゆる宗教者だけが宗教に関わるのではない。誰もが各人各様に参入でき、関わっていくべきものが、実は宗教なのだともいえる。

してみると、宗教者には大きく分けて、顕在的な宗教者と潜在的な宗教者がいることになろう。顕在的な宗教者とは、いわゆる宗教者という意味でのプロの宗教者。これに対し、一般の人々は、心魂の奥にいまだ開発されない宗教性を持っている潜在的な宗教者。仏教的表現で言えば、仏性を秘めているが故に、潜在的な仏教者であると言い換えてもよい。

プロの宗教者の役割の一つは、潜在的な宗教者でもある人々の宗教性を引き出していくことである。宗教者に人間力が問われるゆえんもそこにある。

この人間力の発揮こそ、いわゆる宗教者が宗教者であることの専門性ではないだろうか。あらゆる職業には専門性があるが、宗教者における専門性は、何よりもどれだけ一人一人を大切にし、奉仕する心を持っているかにかかっている。宗教者の人間的魅力もそこにおのずと生まれてこよう。

プロの宗教者を任ずる者ならば、人々との出会いを千載一遇のチャンスと捉え、どんな時でも一人一人の宗教性を啓発するよう、働き掛けていくべきだ。人は誰もが宗教性の要素、仏になる資質を持っており、人間として精神的に開発途上にあるのだから。そうすれば人々もまた、その宗教者の真実の働き掛けに必ずや呼応してくれるだろう。昨今の宗教離れの問題を解決する秘訣も、こうした正攻法にこそあると思う。