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問われる社会の良心 もう攘夷の時代ではない

2014年11月5日付 中外日報(社説)

「日本人の精神を1尺掘ると攘夷が出てくる」と評される。攘夷は長い鎖国の安逸を破られ起こった幕末の外国人排斥運動、つまり排外主義である。島国で培われたこの気質は、今も何か外圧に遭うと目を覚ます。昨今の「嫌中・憎韓」ブームやヘイトスピーチもその表れとみていいが、笑止なのは「嫌」や「憎」をあおる当事者が愛国者気取りでいることだ。

だが、偏狭で独り善がりな愛国心が国政を巻き込むようだと危うい。国を破滅に導く懸念が生じるばかりか、全体の利益を口実に平然と個人に犠牲を強いる社会を招く怖さがある。それは戦前・戦中の世への回帰にほかならない。

最近、書店に足を運んで驚くのは平積みされた「嫌中・憎韓」本の山である。書店は売れるから置くと言うが、これらの本が読まれると中国、韓国との関係が悪化すると考える市民が半数を占めるそうだ(10月26日付毎日新聞)。

激しい言葉で在日コリアンらを侮辱し大阪高裁で「人種差別」と認定されたヘイトスピーチは、恐怖感を覚えるほど粗暴である。国連の委員会で「暴力的な威嚇」と厳しく批判されたが、安倍政権の女性閣僚らがそんな団体などの関係者と写真に納まっていた。なぜか国内メディアはあまり報じておらず、むしろ人権に敏感な先進諸国のメディアが強い関心を寄せて批判報道しているようだ。

冒頭の攘夷の例えは、半藤一利・保阪正康両氏の『日中韓を振り回すナショナリズムの正体』(東洋経済新報社刊)から引用した。同書も記すように、閉塞感を強める世はいつの時代も破局へと向かう勇ましい言葉が民衆を誘惑する。そうした社会は寛容さを失って集団エゴに陥りやすく、周辺部に生きる声の小さな人々への思いやりが抜け落ちる。例えば沖縄だ。

「現在琉球民族が置かれている社会的位相は中国の新疆ウイグル自治区やチベット自治区と変わるところがない」――琉球民族独立総合研究学会共同代表を務める松島泰勝・龍谷大教授の著作『琉球独立論』(バジリコ社刊)の一文だ。明治初頭の琉球処分で日本に併合されるまで独立王国だった沖縄は、過酷な歴史を経て現在も過重な基地負担に苦しむ。だが、本土は周辺国の脅威は強調しても植民地状態で抑圧された人々は省みない。そのエゴへの憤まんが今回の知事選にもうかがわれた。

「小指の痛み」に素知らぬ顔の国の自画像はひどく不気味な姿に違いない。結局、問われているのは社会の健全性と一人一人の心の持ち方なのだろう。