ニュース画像
御影堂前階段で記念撮影を待つ小僧さんたち。2時間余りの儀式を終えてほっと一息
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

良縁を得た副住職 檀家のアンテナが奏功

2014年11月28日付 中外日報(社説)

首都圏在住の文筆家Aさんはこの秋、菩提寺の住職の長男が結婚式を挙げると聞いて、久しぶりに郷里の村へ帰った。寺の墓地には曾祖父をはじめ、多くの親族が眠っている。現住職はAさんの学校友達でもある。「やっと跡取りの副住職の嫁が決まった」と、住職から告げられた。

「最近のウエディングは、披露宴がけばけばしい。学友中心で進められ、家族や親族が隅に追いやられる傾向もある」と考えていたAさんは、初めての仏前結婚式に参列して感動した。

「仏様への感謝と誓いということで、何度も合掌しました。司式者の導師に対する合掌もありました。仏前結婚式は素晴らしい、が率直な感想です」とAさん。菩提寺の副住職はめでたく次代の「寺庭さん」を迎えた。

ところで、浄土真宗以外の宗派は江戸時代まで、僧侶は独身を貫く建前だった。維新後の1872(明治5)年、太政官布告により「僧侶の妻帯お構いなし」となったが、寺の世襲制は、すぐには定着しなかった。妻帯は具足戒と相いれないからであろう。

歌人・石川啄木の父・一禎は曹洞宗の僧侶で、岩手県渋民村(現盛岡市)の宝徳寺などの住職を務めた。妻カツとの間に1男3女が生まれた。しかし一禎は戸籍上、3人の娘は養女、息子の啄木はカツの連れ子として届け出た。仏教界には、太政官布告後も住職が実父と名乗りがたい雰囲気があったようだ。

1965(昭和40)年ごろ、高野山真言宗の僧籍を持つ作家の寺林峻氏が各宗の僧侶仲間から聞き取り調査をしたところ、住職の子女の出生届が実情通り出されるようになったのは明治末年から大正の初年という答えが多かったとのことだ。つまりそのころから、寺の世襲制が広く定着し、寺院への嫁入りが公認されるようになったらしいという。

さて、Aさんの菩提寺の住職が「やっと嫁が決まった」と言うように、最近は一部の寺院では後継者の結婚難が伝えられている。寺は、一時たりとも留守にすることができないから、住職夫人は外出もままならぬことがある。だから若い女性が、僧侶との結婚を敬遠するというのだ。

Aさんの菩提寺の場合は、檀家の有力者たちが「アンテナを伸ばして、いい娘さん探しをした」そうだ。副住職自身も「いい人と巡り合う」意識を抱き続けつつ、地域の社会活動に積極的に参加したという。つまり、よき寺檀関係とよき教化活動が、寺に実りをもたらしたというべきだろう。