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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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信仰共同体の境界を越え 人としての共感生み出す場を

2014年12月3日付 中外日報(社説)

宗教の現代的意義に関わるような、極めて興味深いドキュメンタリー映画が、この秋に相次いで上映された。「大いなる沈黙へ」と「聖者たちの食卓」である。

この二つの映画の内容は対照的とも言える。「大いなる沈黙へ」は、フランスのグルノーブルに近いグランド・シャルトルーズ修道院の修道士たちの日々を描く。カルトジオ会に属するこの修道院の戒律は厳しい。撮影自体も十数年の交渉を経て許可されたという。全てを神に委ねた修道士たちの日々は、祈りと聖書の学びにささげられる。全体を支配するのは圧倒されるような静寂さである。

一方、「聖者たちの食卓」はインドのパンジャーブ州にあるシク教の本山ハリマンディル・サーヒブ(通称黄金神殿)での食事風景を描く。一日に10万人の信者や観光客などが訪れる。人種、性別、年齢、宗教などが問われることなく、来た順に食堂の床に座る。その人々に無料の食事が提供される。職人技というべき食事の準備の様子をカメラは追い掛ける。一回に5千人が食事をするわけだから、ナレーションはなくても、なかなかにぎやかな画面となる。

この対照的な映画は、しかし、宗教が現代社会において果たし得る二つの代表的な役割を描いてもいる。それは日常的な時間や空間から隔たった宗教的な世界の確保という側面と、聖地を多くの人々に開放し、そこで生まれる人間相互のつながりを体感させる場の提供という側面である。

日本の宗教において、このような側面はどこに確保されているであろうか。俗なる世界から隔絶した時空に自らの心身を置きたいという気持ちを抱くに至る人は、数は少なくとも必ずいる。そういう人たちはどこに向かうであろうか。永平寺や高野山、比叡山など、彼らを迎え入れる場所を持つ所は幾つもある。ただ、グランド・シャルトルーズ修道院のような世間から隔絶された修行の場を維持するのはなかなか難しい。

これに比べ、信者だけでなく訪れる多くの人に開放され、そこで何の差別なく食事を提供するというような試みは、これよりはハードルが低そうに思える。すでに災害が起こったときに、被災者を区別なく受け入れるような試みは少しずつ始まっている。これを日常的な仕組みにしていくことは不可能ではない。

信仰共同体の結び付きの強化はどの宗教でも目指すことである。しかし、信者・非信者の別にこだわらず、人間であることの共感を生み出す場を宗教が提供する道はもっと模索されていいだろう。