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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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柔軟な社会には復元力 宗教者の伴走型支援の意義

2015年2月18日付 中外日報(社説)

大きな自然災害に見舞われたり、大事故やテロ事件に巻き込まれるなど、衝撃的な出来事が発生すると、その惨状が様々なメディアで報道される。自らも体や心が傷つき、また最愛の人を失って泣き崩れる人々の姿を見れば、彼らの悲嘆や苦悩は癒やされることがあるのだろうか、破壊された日常生活は果たして元通りに戻るのだろうかと、心が痛んでくる。

しかし、体の傷が癒えるように、心の傷もきっといつか癒やされ、また暮らしも必ず回復していくと信じたい。我々は生きている限り、自己治癒力が働いている。どんなに衝撃を受けても、生命体にはこの力が機能し、損傷を癒やしていくことができる。同じことは自然の生態系、人間の心、組織や社会そのものにもいえる。このような自己回復する力をレジリエンス(復元力)ともいう。

鋼鉄や岩石は硬く強固だが、いったん折れたり割れたりしてしまうと、もはや自力で元には戻らない。同じように頑なな心や硬直した組織も、大きな変化や変動の前には脆い。危険な事態が頻繁に発生する状況で、たとえそれらに巻き込まれても、自らの内にレジリエンスがあれば一時は圧倒されても何度も立ち上がり、生き延びていくことができるはずだ。

そのためには、柳のようにしなやかな姿勢が必要である。回復できるシステムの中には、衝撃を吸収する性質と力がある。回復には時間もかかるだろう。また、単に元に戻るだけではなく、新たな環境に柔軟に適応することも可能になるかもしれない。

宗教者にとって何よりも大切なのは、そのような場面に自らが居合わせていることだ。適切な距離を取りつつも、宗教者が身近にいるというだけで心強く感じられる。そして癒やすのは、どこまでも本人の自己治癒力である。宗教者に求められるのは、その人のレジリエンスを信頼し、その回復する力に手を添えていく姿勢である。長期の伴走型支援とは、そういうものであろう。

宗教者にそれが可能なのは、傷ついた人々に神仏との新たな縁を結ばせることを通じてである。この神仏の力が彼らの心魂の内に入り込み、大きな治癒力として作用する。だからこそ宗教者の存在が癒やしの“伴走力”となり得るのである。このことは個人だけではなく、社会全体に対してもいえる。

今年は阪神・淡路大震災から20年の節目の年、また東日本大震災が発生して5年目を迎える。前者の経験を後者に生かしつつ、この歳月の持つ重みを受け止め続けていきたい。