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平和国家の最大の危機 問われるメディアの姿勢

2015年6月19日付 中外日報(社説)

思い出したい。多くの国が反対する中、米国が2003年に「驚愕と畏怖」と称しハイテク兵器など圧倒的な軍事力でイラク攻撃を始める前、中東に詳しい識者は「パンドラの箱を開ける」と強く警告した。開戦の理由が恣意的な上、地域の複雑な宗派対立や民族感情を刺激し、収拾がつかなくなるという懸念だった。警告通り、混乱に乗じて「イスラム国」が台頭、今や手に負えない状態だ。

安易な武力行使は、むしろ紛争を助長する。愚かしいイラク戦争が国際社会に残した一番の教訓だが、今後、中東への自衛隊派兵も想定される安倍政権の安全保障関連法案は、その教訓を省みているのか。ジャーナリズムの視点で検証すると、日本のメディアは対イラク開戦を支持した全国紙が今度の法案にも賛成、反対した全国紙とほとんどの地方紙はその逆という図式が特徴だが、それはおいても深く留意すべきことがある。平和憲法を土台とする日本は今、安倍政権の下で戦後最大の危機にある。メディアも存在意義を問われる正念場にいるということだ。

70年前の「8・15」を挟む1年間の国民の苦境をリアルに描出した作家高見順の『敗戦日記』(中公文庫)には「敗戦について新聞は責任なしとしているのだろうか。度し難き厚顔無恥」と辛らつな新聞批判が度々表れる。軍におもねり虚報を連ね国民を欺いたことへの憤りである。知識人として、軍国主義との向き合い方に非はなかったかと作品に問う向きもなくはないが、それで新聞の責任が軽減するわけでもない。その反省から出発した戦後日本のジャーナリズムは、平和を脅かすものに当然だがより鋭敏さが求められる。死活的に重要なのは事実の追求だ。

一例にすぎないが、日本はいわゆる思いやり予算など年間7千億円近い米軍駐留経費の大半を気前よく国民の血税で負担する世界でも例のない国のようだ。そうした対米隷従の生々しい現実を一つ一つ、事実を突き付け詰めていかないと、ベールに包まれた安全保障法案の本当の姿は見えてこない。

論理的には集団的自衛権行使を容認する強引な憲法解釈の破綻は多くの憲法学者の「違憲」表明で明らか。一部の新聞も社説などで力説している。だが、少数の「合憲」学者が出てくれば「憲法判断割れる」と報じられるだろう。国会審議の政権によるこじつけ、暴論も「論戦かみ合わず」といつもの報道に堕してしまいがちだ。

平和を唱えることは易しい。だが、眼前で進む、平和が壊れる事態を止めるのは並大抵でない。