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問われる良心の自由 立憲主義の危機に向き合う

2015年7月10日付 中外日報(社説)

新日本宗教団体連合会(新宗連)が、6月16日に「自由民主党・日本国憲法改正草案に対する意見書」を、船田元・自民党憲法改正推進本部長に提出した。同党に回答を求めたもので、意見書は同会のHPで公開されているが、その内容は本紙でも報道されている。

それによると、憲法の三大原理(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)を順守すること、基本的人権の根幹である「信教の自由」の保障を確固たるものとすることを柱とし、立憲主義を守ることにも力点を置いているという。そして、自由民主党改憲草案の内容について、かなり具体的な意見を付している。すなわち①憲法に国民の義務を記さないこと②「個人」を「人」と書き変えないこと③「信教の自由」を保障し、「政教分離原則」を堅持すること④「公益及び公の秩序」を憲法に盛り込まないこと⑤平和主義を守ること――だ。

「意見書」は大いに注目すべきものだ。そもそも現代の宗教団体は、憲法や立憲主義に対してどのような立場をとるのか問われざるを得ない。多くの宗教は信ずる価値を強く掲げ、人々にそれに従うように促すという性格を持つ。国家が特定の宗教と結び付くときには、信ずる価値を人々に受け入れさせようとする宗教が抑圧的に働いて、少数派の国民の自由を脅かすことになる。こうした事態を防ぐことと立憲主義の確立とに深い関係がある。むしろ良心の自由こそ宗教にとって不可欠のものだ。そこの認識が問われている。

第2次世界大戦終結までの日本は、この点で苛烈な経験をしてきた。国家神道が国民に押し付けられ、それによって信教の自由、思想・言論・学問の自由を失い、良心の自由を奪われたのだ。それは一時的なものではない。明治憲法制定、教育勅語の渙発直後から思想抑圧は始まっている。宗教も陰に陽に国家神道に従わされた。こうして良心の自由を奪われたことは、日本の宗教にとって決して忘れられない経験だ。この歴史的経験を踏まえて現行憲法はある。

昨今、政府・与党に立憲主義を軽んずる言動が目立つ。実は自民党の憲法改正案が立憲主義を軽んずる内容なのではないか。国家秩序に力点が置かれ、信教の自由、良心の自由が抑圧された戦前への反省が遠のいているかのようだ。

憲法を改正してはならないと言いたいのではない。どのような憲法改正なのかが問題だ。立憲主義を掘り崩すような憲法改正を、現代に生きる宗教者として認めるのか。日本の宗教者、宗教教団が真剣に向き合うべき問いである。