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「寛容な社会」に逆行? 懸念される改憲への動き

2015年9月18日付 中外日報(社説)

「同じ意見の人を愛することは簡単。現代では、違う意見の人を愛することが大事なんだ」――アメリカインディアンで詩人のトム・ラブランクの言葉という。世界で活動し来日歴もある人だ。

この警句が心に残るのは、長い抑圧に苦しむ先住民の深い精神性への共感もあるが、もう一つ、垣根を越えた人間愛が混迷の世を拓くというメッセージをくみ取れるからだろう。人類の普遍的な目標である寛容な社会への渇望と言い換えてもいい。その思想は実は、信教の自由を保障する日本国憲法の理念に通じるものである。

憲法20条は89条と併せ「信教の自由」と「政教分離」を定め、国家神道という政教一致体制で破滅を体験した日本でとりわけ重要な規定だ。人は「内心の自由」といわれるように、それぞれ譲り合えぬ思想信条や信念、信仰を持つ。

時に厳しい争いとなるその違いを互いに尊重し、折り合いをつけていかないと価値観多様な社会は持続できない。そのためのルールが信教の自由であり、そのルールに国を踏み込ませないことが政教分離だとされる。信教の自由に揺るぎがない社会は「思想・良心の自由」や「表現の自由」「学問の自由」など基本的人権に関わる諸々の自由に懸念はない。もとより「法の下の平等」もこれに加わる。

逆に信教の自由が脅かされる社会は基本的人権全体が危うく、違う意見を憎む、息苦しくて不寛容な世になる。宗教者はそのことを片時も忘れてはなるまい。

そこで気掛かりなのが安倍政権下で具体性を帯びる改憲論だ。

自民党の改憲案は、例えば国民の義務規定が北朝鮮や中国の憲法並みに多く「本来、国家権力を縛る憲法を逆転させ、国民を縛る北朝鮮、中国の考え方に近い」という(6月30日付毎日新聞など)。信教の自由規定にも介入し、総じて立憲主義の認識が薄く、基本的人権になじまない国権主義的な色彩が強い。宗教界からも批判が出ているのは周知の通りである。

終戦翌年の11月3日(憲法公布日)、内閣が発行した『新憲法の解説』に「今日まで、法律の枠内で権利よりも義務を押し付けられることになれて来た悲しい習性」という一節がある。旧憲法に比べ「国民の義務規定が少ない」と当時、的外れな批評をした一部国民を内閣が説諭した文章である。自民党改憲案の時代錯誤ぶりが、この一事からも明瞭に見て取れる。

強引な安保法制以後、安倍政権の改憲への仕掛けが本格化するはずだ。どう対応すべきか。真剣に議論を始めないと間に合わない。