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保守と改革 宗教の立脚点を見失うな

2015年9月30日付 中外日報(社説)

宗教には近代化があるのだろうか。歴史上近代化といえば西欧が成し遂げたものであり、常識的にいってその内容は、まずは封建制から市民社会への変革があり、さらに文化的には個人主義の確立、政治的には民主化、経済的には資本主義的産業化、社会的には都市化が含まれ、全てに学術一般、特に自然科学の進歩と技術への応用、その経済システムへの組み込みが加わる。教育も一般化した。

他方、近代化は軍事力の進化をもたらし、後進国の植民地化や先進国同士の戦争を招き、結果として進歩ばかりではなく、各方面での破壊や格差の増大を惹起したので、これらはマイナス面とみられるが、近代化一般はプラスに評価されている。文学、音楽、絵画、彫刻などの面でも近代化はそれ以前とは明白に違うけれども、これは世相の変化が芸術家の活動に影響したとみられる面が強く、芸術に内在する近代化運動の結果とは必ずしもいえないだろう。

ところで西欧の宗教を見ると、近代の始まりに宗教改革があり、個人主義や民族主義と結び付いて、戦争のきっかけともなり、西欧の宗教地図は塗り替えられたけれども、宗教の内実自体が大きく変革されたとは言い難い。ある意味では我が国における鎌倉仏教の方が大きな変革だったといえるかもしれない。

もともと宗教改革はバチカンの支配から自由になって新約聖書の使信に帰れという運動であって、その意味では復古的な要素を含んでいたといえる。もし近代化というならば、現代という社会的文化的状況の中で新約聖書を理解し直すことになる。新約聖書の言語やイメージの底にある宗教的真実を、現代人が聞き逃すことのできない言葉で語り直す作業だ。これは実際、19世紀のプロテスタント神学で始まり、20世紀に展開を見せるのだが、まだ徹底したとは言い難い状況にある。

いったい宗教には(仏教を含めてといっていいだろう)聖なる伝統を守り伝えようという動機が強く、改革には容易に同調しない面がある。むろん宗教的真実の根本に達していない改革に同調してはいけないのだが、事実として宗教と現代社会の間にはギャップができていて、それが増大の傾向にある事実は否定し難い。

元来宗教は、仏教を含めて、目に見えない真実とその表現である言葉やイメージなどの形とを厳しく区別し、後者を真実そのものと取り違えてはいけないと厳しく戒めてきた。逆にいえば、新しい形の創造を拒否するいわれは全くないのである。