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婉曲な表現の強さ 政治批判と短歌の余情

2015年10月23日付 中外日報(社説)

・私の行なのですかわたくしの業なのでせうか語り部の歌

広島の語り部の一人、梶山雅子さんは、被爆70年の今夏『ヒロシマ70年』という歌集を出版した。旧制女学校1年の時、作業に動員された同級生は犠牲になり、病欠の自分だけが生き残った。その後ろめたさを感じながら、平和学習の児童・生徒に平和の大切さを説く心境を詠んだ作品292首を収めたものだ。

浄土真宗門徒の梶山さんはこの一首で、自分の行動は課せられた行でもあり、背負わされた業(カルマ)でもあると表現する。

梶山さんの作品には、正面切って原爆の非人道性を告発したり、核兵器廃絶を訴えたりしたものはない。しかしヒロシマでどんなに貴重なものが失われたかを詠むことで、読者におのずから不戦の決意を固めることを促している。短歌でいう「余情」である。

東京のカルチャーセンターで短歌を指導する女性歌人の言葉を、ある新聞で読んだ。「今年の受講者の関心は、何よりも安保関連法案の問題でした」

60代から80代の人々は「戦後、自分たちが営々と積み上げてきたものが否定された。しかも政府・与党は『お前たちは関係ない』という姿勢で審議を進めた」と語り合っていたそうだ。短歌には時事詠というジャンルがあり、歌人は時局に敏感である。

女性歌人の言葉を裏付けるように、近刊の歌誌には安倍内閣の政策を批判する作品を載せたものが目立ち、一部にはストレートに非難したり、ナマの言葉で怒りを表現したものもある。政治批判の時事詠というより、短歌のリズムを借りた政治的スローガンのような印象だ。

この傾向について、京都で歌誌『柴折戸』を主宰する岩田晋次氏は、次のように言う。「時事詠で政治的信念を表現するのは良い。けれどもシュプレヒコールのような短絡的な表現になってはいけない。文学としての『余情』を重んじるべきです。静かな言い方で、ひたひたと迫るような時局批判を盛り上げてほしい」

60年安保闘争で亡くなった樺美智子さんを偲ぶ歌が全国から寄せられ、京都の出版社が1冊にまとめたことがある。その中で岩田氏の心に最も強く刻まれたのは「恋にあらず平和のために倒れしとその名残さむ日本女性史に」の一首であったという。

安保関連法成立の過程では宗教界からも意見が出され、今後も論議が続きそうだ。信徒や政治家の心に深い「余情」を刻むような法論・法話を期待したい。