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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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権力の驕りと弛み 対抗できる宗教的権威とは

2016年2月24日付 中外日報(社説)

閣僚や与党議員による不祥事、不適切な言動が矢継ぎ早に起こっている。建設業者からの現金授受が発覚して大臣を辞任した甘利明・前経済再生相、政治的公平性を欠く放送局には電波停止を命じる可能性もあると答弁した高市早苗・総務相、国が示した追加被曝線量の長期目標値を科学的根拠が無いと言い放った丸川珠代・環境相、歯舞群島の漢字が読めず秘書官に教えてもらった島尻安伊子・沖縄北方担当相。極め付けは、国会議員として初の育児休業宣言をしながら、妻の出産直前の不倫をスクープされて議員辞職を表明した宮崎謙介・衆院議員である。

悪質な収賄疑惑もあれば、権力をかさに着た威圧的態度、重大な認識不足や全くの不勉強もある。最後の事例に至っては、政治家以前に人間としてお粗末としか言いようがない。いずれも政権与党の権力のおごり、またその組織としてのゆるみが露呈されたものだ。

政治倫理がよく取り沙汰されるが、個のレベルから考える倫理と全体的統治から取り組む政治は、共に人間の幸福という同じ目標を有する。四書五経の一つ『大学』は「修身・斉家・治国・平天下」(自らを正し、家を整え、国を治め、天下を平和にする)と説いている。もともと倫理と政治はこのように地続きの関係にある。

個人にも組織にも、自らを律する厳しい姿勢が不可欠だ。一連の失態は、政治家にこうした自覚が欠如したために、脱線、暴走したことの表れでもある。

19世紀イギリスの思想家・歴史家ジョン・アクトンの有名な格言に「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」というものがある。彼は若い頃に下院議員を務めた経験もあり、権力の魔性を身に染みて感じていたに違いない。

権力に対抗できる力も市民の側には必要だ。今回、気付かされたのは、政治家の不祥事を摘発し、辞職に追い込んだジャーナリズムが健在だということでもあった。メディアは市民の目線に立ち、権力を監視するところにその役割と意義がある。

政治的権力は世俗的権力の最たるものである。もし宗教の側に政治的権力を正していく対抗力があるとすれば、宗教が人々の間に浸透して、世俗にまみれぬ独自の権威と価値観とが広範な支持を得ていることが前提となろう。

願わくば、政治家の側においても、そうした宗教的信念が自らの政治姿勢を厳しく律するものとして存在し、政治倫理の屋台骨をしっかりと支えるようであってほしい。