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原子力政策の迷走 宗教の悠久の視座から問う

2016年10月14日付 中外日報(社説)

政府の原子力政策が迷走している。菩薩の名を冠し、「夢の原子炉」とまでいわれた高速増殖炉「もんじゅ」は膨大な国費の浪費の末に、運転のめども立たず廃炉の方向だ。1995年のナトリウム漏れ事故の際、地元で「こんな危ない物は要らない」との痛切な声を聞いてからもう20年以上。だが国やそれを後押しする大メディアは核燃料サイクル維持をなお諦めておらず、疑問の意見も多い。

また経済産業省筋では、大手電力会社の原発廃炉費用を電力供給を受ける家庭用小売り「新電力」に負担させる姿勢を打ち出しており、結果として電気料金として消費者負担が8・3兆円増えるとの報道もあった。東電福島原発事故のつけを消費者に回しているようなものとの批判が強い。

一方で政府は、原発の高レベル放射性廃棄物を地下70メートルに埋蔵し、電力会社が400年間、次いで国が10万年間管理する方針を決めたといい、「トイレのないマンション」といわれる原発への苦し紛れの策とみられている。

10万年を過去に振り向ければ、ネアンデルタール人が生息し、それと共通の祖先から進化したとされる現生人類がアフリカから各地へ広がる時代だ。国や政府どころか文字も言葉もない大昔。それと同じく気の遠くなるような10万年後では現文明、ましてや現在の国家や国土が存在しているかどうかさえ分からない。それなのに安全に管理が続けられると言うのは、荒唐無稽としか見えない。

現実にフィンランドにある地下埋納施設「オンカロ」を描いたドキュメンタリー映画「100000年後の安全」では、未来人が“埋蔵財宝”と誤解して掘り出さないよう「記憶から消し去る」方法が論議され、「忘れ去れ。それを決して忘れてはならない」と言い伝えるブラックユーモアまで出てくる。今の言語さえ存続が怪しい未来への警告は文書などではなく、「危険伝説」の宗教的タブーとして伝承すべきだとも。

福島事故の後、「廃炉後に神社にして、危険性と人類の愚かさとを子孫に伝えよう」との大真面目な提言もあり、美術展で実際に原子炉を社殿にしたオブジェも展示された。

開発からわずか40年余で「栄光」から「挫折」を繰り返し、ころころ変わる原子力政策などを推し進めてきた人間は、遠い未来、少しは「進化」し存続しているだろうか。半減期が何万年という放射性物質などを扱う科学技術の影の部分に対峙するのに、悠久の時間を内包する宗教の力こそ有効ではないだろうか。