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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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宗教者の不祥事 教団の自律・自浄を示せ

2016年11月2日付 中外日報(社説)

宗教者の不祥事に関する報道に触れる機会は少なくない。先日も、ある僧侶が偽札を作り、それを使って女子高生と「援助交際」を行い逮捕された、というあまりにもひどい事件が報じられた。あるテレビ局関係者は、僧侶が起こす事件が最近増えたように思いませんか、と問い掛けてきた。事件数が少ないからこそ、また、宗教者が犯罪とは一番縁遠い存在だからこそ、ニュースとして目立つのだと言いたいところだが、多くの人は「増えた」という印象を強く否定するだけの自信は持てないだろう。

過去何年かさかのぼって、僧侶が関わった犯罪やトラブルを思い起こすと、飲酒運転や傷害事件、覚醒剤所持・使用、詐欺への加担など、世間と同じで一通り種類がそろっている。この状況を見る限り、現代社会で、宗教界は決して特別な領域ではないようだ。

各宗派には非違行為を行った僧侶に対する懲戒処分の規定が存在し、その処分基準は宗教的理由を含むので国法とはずいぶん違う。しかし、国法に触れて刑が確定した者に対しては当然のこととして、住職解任など宗派の重い懲戒処分を適用するところがほとんどだろう。戒律を設けない真宗系でも、五逆、謗法、異安心のみならず、国法違反をはじめかなり詳しい懲戒の規定を宗法で定めている。伝統仏教の中には、重懲戒の理由を詳しく機関紙に掲載し、僧侶の非違行為を厳しく戒める教団もある。

一般的に言って、宗教団体はその自律性の中で、所属員の行動が社会的相当性から逸脱することを強く抑制している。教団規則だけでなく、一市民としては義務ではない各種研修会への参加なども、組織の自律・自浄の仕組みだ。基本的に、国の法令に違反する者などは現れにくい組織の組み立てになっている、はずである。

にもかかわらず、先に挙げたような不祥事が増えたという印象を与えているとすれば、個別の事情は様々あるだろうが、全体として伝統仏教教団などが僧伽としての力をかなり低下させている一つの兆候ではないか、と疑われる。

独自の力量で社会的に活動する宗教者の中には、宗門にはあまり多くを期待しないと語る人もいる。しかし、仏法を護り伝えていく上で、僧伽の役割の重さは改めて強調するまでもない。世俗化が進み、宗教の「活躍の場」が限定されてきた現代の社会では、なおさらだ。教団の自律・自浄のため宗門の構成員全てが意識的に参加し、その成果を世間にはっきりと示す必要がある。