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進歩向上の歴史観 根底に潜む「虚無」の影

2016年12月7日付 中外日報(社説)

先進国、発展途上国という区別が当たり前のように行われている。このような区別は、歴史は同じ道筋を通って一方的に進歩し続けるという歴史観を前提にしている。

古来、歴史については、人類は絶えず向上するという見方と、逆に堕落してゆくとする対立した見方とがあった。後者の一つの代表は、正しい宗教の在り方が世から段階的に失われてゆくという仏教の末法思想である。新約聖書にも、人類はキリストによる救済にもかかわらず、やがて悲惨な時期を迎えて終末に至るという歴史観がある。

近代以降、歴史には栄光と悲惨との両面があるが、世は悪くなるばかりだといった見方は、一般には受容されていない。逆に人類は絶えず進歩向上するという歴史観が、ダーウィンの進化論、ヘーゲルの絶対精神の自己展開、マルクスの唯物史観などによって基礎付けられ、自由経済、民主化、人権の尊重が先進性を特徴づけるというように常識化している。

しかしやはり別の見方もあり得る。我が国についてみれば、戦時中は「尊いもの」一切が国家と天皇に集中していたが、その構造は敗戦と天皇の人間宣言によって解体された。日本人は共通の価値と目標を喪失したのである。戦後の「虚脱」はやがて復興の熱意に取って代わられたが、高度成長はバブルの崩壊で終わりを告げ、体制変革の情熱もソ連の解体と革命勢力の変質によって衰退した。以来続いている沈滞の傾向は、共通の目標の喪失という意味ではひそかなニヒリズムの浸透を思わせる。

軍事的成功や経済的繁栄が都市化をもたらし、都市生活の中で育まれた文化が人間性への反省を産み、自我のむなしさが自覚されてニヒリズムに陥るという例は古代にもある。古代ギリシャのアテネはペルシャ戦争に勝利して未曾有の繁栄の時期を迎え、優れた思想家を生み出した。ソクラテス、プラトン、アリストテレスである。

しかしそれ以後、ストア派、エピクロス派、アカデミア派は消極主義、懐疑主義に陥ってゆく。世にはニヒリズムが蔓延し、やがてはローマ帝国も没落してキリスト教が精神文化を支えることとなった。シュペングラーの『西洋の没落』に始まるいわゆる「文明史観」は、西欧古代末期と現代との類似を指摘して、歴史の一方向的な進歩を否定し、文明圏の繁栄の果てに衰退と虚無の影が忍び寄るとする。実際、宗教を喪失した現代文明は、いくら「進歩」しても、やがて自我(無明の我)の底は虚無だと気付くことになろう。