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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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負の連鎖反応に危惧 避けるべきことを歴史に学ぶ

2017年2月15日付 中外日報(社説)

トランプ新大統領による対立する人物、メディア、あるいは隣国への激しい批判は、非常な不安を多くの人々にもたらしている。世界に大きな影響力を持つ立場にある人物が、攻撃的な態度を示せば、それは当然、連鎖反応を生んでいく。攻撃的な姿勢は攻撃的反応を生みやすい。冷静に対処するのが適切だが、それは人類のDNAに刻み込まれた反応と考えられる。非常に憂慮されるのである。

自分たちのリーダーが、敵対する人物や陣営、自分たちの方針にとって障害となる相手を一刀両断するように発言すると、どうしても小気味よく響きがちである。それゆえ多くの人が、実際がどうであるかを確かめることなく、リーダーの言葉に従ってしまう。

紛争や戦争が起こる前に、指導者たちがどのような言説を用いてきたかを調べれば、それは明らかである。怒りを含んだ言葉や威嚇の発言が、団結の源になってしまうというのは、現代社会においてさえ変わらないということを、まずは自覚しなければならない。

その上で、こうした事態が負のスパイラルに陥り、悲劇的な結果へと転がり落ちていかないためには、何が必要かを考えなくてはならない。これまでの時代と異なるのは、政治的リーダーが発する情報だけが、多くの人々に届く時代ではないということである。非常な情報統制を行っている国でさえ、インターネットが世界に行き渡っている現代では、リーダーを批判する声を封じきれない。

宗教団体には、攻撃的言葉から負のスパイラルが生じるようなことに対する強いストッパーとして機能することが求められる。しかし、現実にはむしろそれを煽るような団体さえある。

対立を煽る姿勢がもたらすことへの警告を説得力あるものにするには、理念だけでは足りない。歴史に学ぶ姿勢をしっかりと持つことである。ここで「歴史に学ぶ」とは、自分たちの正しさを歴史的に証明しようとする態度ではない。どのような言説が危機の発端であったのか、何を見過ごしたから事態が悪化していったのか。そういうことを検証するような目を養うことである。

どの説が正しいかについての議論は学問が追究することであり、そこにおいては修正が何度繰り返しなされても構わない。しかし、歴史に学ぶという実践的な姿勢においては、まず「避けるべきこと」を明らかにしていかなくてはならない。宗教的理念というものは、まさにそうした思考法に立つとき本来の力を発揮し、影響力を増すもののはずである。