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「本気で自殺」が1/4 神仏の救いもきっかけは人

2017年3月31日付 中外日報(社説)

人身事故のため、列車が遅延したことを経験した人は少なくないと思う。鉄道の人身事故の半数が自殺によるものといわれる。そんなとき、たいていの乗客は衝撃を受けながらも、次の瞬間にはもう、仕事や待ち合わせの時間に遅れるのではないかと腹立たしい思いをする。そうした思いに決してうそはないだろう。車内に長時間閉じ込められたり、満員のプラットホームでいつまでも待たされたりして、多大な不便と迷惑を被ることには違いないからだ。

しかし、その前にもう少し思いをはせてもらいたい、掛け替えのない自分のいのちを誰かがまさにその時、絶ってしまったということを。その人はどんなに不安と絶望の気持ちで駅や線路際まで来たのだろう。もし間際であっても、相談できる相手、頼りになれる人がその人の目に留まっていたなら、そんなことは起きなかったのではないか。

本気で自殺したいと考えたことのある人が成人の23・6%に上ることが、最近、厚生労働省の意識調査で分かった。4人に1人というから高率である。50代の場合は3割で、他の世代よりも高い。自殺念慮をどう乗り越えたかについて複数回答で聞いた結果、主な答えは「趣味や仕事で気を紛らわせるよう努めた」(36・7%)、「身近な人に悩みを聞いてもらった」(32・1%)であった。

覚悟の自殺という言い方があるが、実際には自殺への思いを持っている人は、生と死の間で心が激しく動揺している。また、いくら本気で自殺したいと思っていても、現実の遂行に至るまでには心の中で長い道のりがあるはずだ。死しかないと思い詰めてしまったら、他の選択肢が見えてこなくなる。気を紛らわせることができれば人生の違う側面に気が付くだろうし、人に悩みを打ち明ければその分悩みも軽減される。

ただ、悩みが打ち明けられる組織や、行政の自殺対策の認知度はそれほど高くない。まして、そこに宗教者が相談の選択肢に入るというのは、一般の人々には考えにくいだろう。

見ず知らずの寺院や教会の門をたたくのは、心理的距離が確かに大きい。そのために、自らの敷居を低くしていくことは、宗教者の側の務めでもある。どんな鉄道沿線にも寺院や教会など、多くの宗教施設がある。もし自殺を本気で考えている人が、車窓から宗教施設を見て、ここに自分の苦しみを聴いてくれる人がいると思ってくれたとしたら、どうだろう。神仏の救いもまた、きっかけは人がつくらなければならないのだ。