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「小さき人々」の声 祈りに似た言葉が伝える意味

2017年4月21日付 中外日報(社説)

NHKEテレの「こころの時代~宗教・人生~」という番組で、2015年にノーベル賞を受賞したベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさんが語っていた。16年に初めて日本を訪問した際の取材によるものだ。『チェルノブイリの祈り』(1997年)は、86年のチェルノブイリ原発事故で被害を受けた人々からの聞き書きを連ねた著作で、アレクシエービッチさんの代表作の一つ。他に、ソ連によるアフガニスタン侵攻などの戦争の経験の聞き取りを主体としたものもある。

アレクシエービッチさんは「小さき人々」の声を聞き、それを書き記すことが自らの創作活動の主要なモチーフだという。「小さき人々」とはどういう人たちか。社会的地位は高くない、裕福でもないという意味だろうか。いや、それ以上に、政治や社会の大きな力に翻弄され、苦しい人生を歩み人としての痛みをよく知りながら、それを人前で語るような機会を持たない人々ということだろう。

アレクシエービッチさんは、原発事故は現代の新しい戦争の形だと述べていた。国家や経済組織による大きな被害を被りながら、救済を訴えることもできない人々が数多くいる。『チェルノブイリの祈り』にはそのような人々の声が書き取られている。だが、それは単に無残な経験と悲しみを記録するということではない。アレクシエービッチさんは、「小さき人々」の声から暴力支配への抵抗の可能性が、そして希望が見えてくるとも語っていた。作品の題に「祈り」が掲げられているのは象徴的だ。

話は飛ぶが、「小さき人々」という言葉から、こうの史代さんのコミック作品を基に作られた片渕須直監督の映画「この世界の片隅に」(2016年)を思い出すのも突飛ではないだろう。戦争末期の軍港、広島県呉市の街外れに住む主人公は、広島市からそこに嫁いできた若い女性だ。日々の暮らしを大事にして、思いやりに富み、絵を描くのが大好きな彼女だが、空襲で逃げ遅れ、小さな姪と、技量が宿った自らの大事な右腕を失ってしまう。

敗戦の詔勅を聞き彼女が国や軍への疑いをつぶやく場面がある。静かに生きる彼女だが、祈りのような言葉が語り出される。「この世界の片隅」から聞こえる「小さき人々」の声のよい例だろう。ナショナリズムが優勢になる時代、「小さき人々」の声に耳を傾けることがますます重要になってくる。全体主義に傾いたベラルーシからの亡命生活が長かったアレクシエービッチさんは、そう語っていた。